2017年で引退を決めた、プロゴルファーの宮里藍(みやざと・あい)選手。
今回は、そんな藍さんを取り巻く『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
◆藍ちゃんは結婚してるの?
宮里藍選手は、今のところ結婚していません。
引退を公表した時は「寿引退説」が流れ、
「女子選手の引退=結婚」
という安易な図式を批判する否定派と、それが自然だとする肯定派の論争が巻き起こったりもしました。
実は、藍さんに恋人がいることは“公然の秘密”。
お相手男性は、藍さんより3歳年上のスポーツマンで、好青年を絵に描いたような人物なのだとか。
男性は、もともと男子プロの世話をする、メーカー系列の会社員。
その経験から、徐々に藍さんの身辺のサポートをするようになり、2007年から正式に専属マネージャーとなりました。
◆結婚できない理由とは?
宮里藍選手の両親は、マネージャー男性との交際を認めており、何も障害がないように思えます。
実は、結婚へのハードルを設定していたのは藍さん本人でした。
米ツアーで優勝するまでは結婚しない…!
当初、こう宣言していた藍ちゃんは、2009年に「エビアン・マスターズ」で米ツアー初優勝を果たします。
この時、スタッフの中で最初に熱い抱擁を交わしたのは、マネージャー男性でした。
藍さんは次に、
米メジャーで優勝する、あるいは米ツアー賞金女王になる!
と目標を修正し、自ら、それまでは結婚をお預けにします
前述の「エビアン・マスターズ」は、藍ちゃんが優勝した時点では米メジャーではなかったのですね…(同大会は2013年から米メジャーに昇格)
しかし、この目標を達成する前に、藍さんは引退を決断。
逆を言えば、結婚への障害は取り除かれたことになります。
引退会見で藍さんは、
(結婚は)いまのところはないですね…
と「寿引退説」を否定。
しかし、その言葉を額面どおり受け取るゴルフ関係者は少ないそうです。
いまのところは……
とは、いつのことを指しているのでしょうか?
◆子供は…?
宮里藍選手には、当然のことながら子供はいません。
藍さんは以前、
30代になれば結婚したいし子供もほしい。でも結婚しながら、プロとしてつねにベストの状態でいるのは無理
と話していたので、子供は欲しいのでしょう。
逆を言えば、「子供を産む年齢」と「母親業とプロの両立は無理」という連立方程式を解くと、このタイミングでの引退という答えが出たのかもしれません。
引退会見で
子どもができたらゴルフを勧めますか?
という記者の問いかけに、
もし一緒に遊ぶような感じであれば、やってみたいなとは思います
と答えた藍さん。
順調にいけば、母親になる日はそう遠くないかもしれません。
◆宮里3兄弟の長兄
宮里藍選手は3人兄弟で、全員がプロゴルファーであることが知られています。
長兄の名前は、宮里聖志(みやざと・きよし)さん。
1977年2月28日生まれなので、藍さんより8歳年上になります。
3歳から父の指導を受けゴルフを始めた聖志さんは、大阪桐蔭高校卒業。
近畿大学中退後、1999年にプロテスト合格。
2002年の「ミズノオープン」で2位に入り注目され、同年「全英オープン」にも出場しました。
2004年12月の「アジア・ジャパン沖縄オープンゴルフトーナメント」で念願の初優勝を果たしています。
◆次兄は名古屋在住
宮里藍選手の2番目のお兄さんは、宮里優作(みやざと・ゆうさく)さん。
1980年6月19日生まれでなので、藍さんより5歳年上になります。
ちなみに、誕生日は藍さんと同じ日です(゜o゜)
次兄・優作さんは、大阪桐蔭高校を卒業後、ゴルフの名門・東北福祉大学へ進学。
藍ちゃんも中学を卒業すると、優作さんを追う形で同じ仙台市にある東北高校に進学しました。
この頃、次兄・優作さんは、日本学生ゴルフ選手権の3連覇を果たし、藍ちゃんも高校2年で釜山アジア大会で金メダルを獲得。
「天才兄妹」として地元メディアで紹介されるようになり、2人一緒の取材も多かったそうです。
優作さんは、在学中の2002年12月にプロ宣言をし、翌年4月の東建ホームメイトカップでプロデビューを果たした。
しかしプロ転向後はなかなか優勝に手が届かず、初優勝は2013年のゴルフ日本シリーズ。
プロ転向11年目・33歳でのツアー初優勝をメジャー大会で飾っています。
次兄の優作さんは、現在、名古屋に住んでいるようです。
すでに結婚しており、奥さんは元モデルの小川紗千恵さん。
子供さんもいるので、将来が楽しみですね(*^^)v
◆父の病気の容態は?
宮里藍選手の父親の名前は、宮里優(みやざと・まさる)さん。
1946年生まれなので、今年(2017年)で71歳になります。
父・優さんは、沖縄県東村の村職員でしたが、41歳で沖縄県東村の村長選に出馬し、落選。
村職員の仕事を失い、1年以上の就活を経てティーチィングプロとして働き始めました。
しかし、当時の月収は15万円程度。
それでも優さんは、工夫して子供たちにゴルフを続けさせました。
土日には赤土の村営グラウンドでアイアンを、スタンドから砂浜に向かってドライバーを打たせました。
クラブは1本1000円の安物でシャフトを短くして、子ども用にし、ボールは紛失しないようにスプレーで赤く塗りました。
練習場のグリーンは無料であったため、1日中アプローチやパットの練習ををしていたこともあります。
こうして、見事に3人の子供をプロゴルファーに育て上げた父・優さん。
なんと、「全米オープン」を戦う松山英樹選手にもアドバイスをしています(゚д゚;)
全米オープン初日に「74」をたたいた松山選手に、
パターのグリップを握った状態で、そのまま手を開かせると、右手の平が(ターゲットラインよりも)右側を向いていた。
バックスイングはまっすぐ引きたいけど、右に向いていたらインサイドに引く力が働く。これを強引にまっすぐ引くと、手首のテンションが変わってきて、ヘッドの動きもスクエア(まっすぐ)ではなくなってしまう。
基本は常に、左手甲と右手の平が同じ方向を向いて、目を閉じて動かしても、ヘッドがスクエアに動く状況を作らないとダメ
と助言。
助言の効果あってか、松山選手は2日目に、7バーディ、ノーボギーの「65」を記録しています。
このように70歳を超えても活躍する父・優さんですが、2017年8月、イギリスのコースで体調を崩し、救急搬送されています。
マネジャーは優さんの容態について
命に別状はなさそうです
説明。
しかし、容態の詳細は明らかにされておらず、体調が心配されています。
◆母の名前は?
宮里藍選手の母親の名前は、宮里豊子(みやざと・とよこ)さん。
年齢は、優さんより5歳年下になります。
母・豊子さんは、沖縄県職員として働き、苦しい家計を支えました。
そんな豊子さんも、30年以上勤めた公務員の仕事を捨て、途中から藍さんのサポートを続けています。
母・豊子さんは、子供たちの試合を見るのが好きで、微妙な距離のパットが決まると、
ああ、良かった ^_^
と胸をなで下ろし、ミスショットが木に当たってフェアウエーに出ると
キジムナー(木の精霊)が付いているんですかね
と笑顔。
厳しい戦いを挑み続けた藍さんにとって、母親の存在はホッとできるものだったことでしょう。
◆まとめ
宮里藍選手の「藍」という名前は、は、辞書で最初の方に出てくる名前であり、
トップがとれるように…
と、父・優さんが名付けました。
その願いどおり、ゴルフで頂点を極めた藍さん。
これからは、新しい『家族』の物語を築いていくことでしょう(^o^)丿
◆編集後記
宮里藍選手の次兄・優作さんは、試合中も腕時計を見ているそうです。
ゴルフはメンタルが大きく影響するスポーツなので、自分の心理状態を的確に把握することが必要。
緊張やプレッシャーを跳ね除けるのではなく、上手に付き合い、緊張感を受け入れたうえでプレーするのだとか。
ちなみに、優作さん愛用の腕時計はこちら。
【中古】【40本限定】リシャールミル RM055 ジャパン ブルー ATZ/TI スケルトン文字盤 手巻き ラバー
中古でこの金額…新品はいくらするのでしょうか?
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