米国を主戦場に活躍する、プロゴルファーの松山英樹選手。
小学2年でスコア100を切りました!
今回は、そんな松山選手を育み、支えてくれる『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
生年月日:1992年〈平成4年〉2月25日
身長体重:181cm/90kg
血液型 :B型
出身地 :愛媛県松山市
◆実家も松山
松山英樹選手は、苗字と同じく愛媛県松山市の出身です。
小学校は、地元の松山市立雄郡(ゆうぐん)小学校に通いました。[1]
中学校も、地元の松山市立雄新(ゆうしん)中学校に進みましたが、中2の時に、明徳義塾(めいとくぎじゅく)中学校にゴルフ留学。
明徳義塾高等学校在学時の2008年に、全国高校ゴルフ選手権で優勝を飾り、日本ゴルフ協会のナショナルチームにも選ばれるなど頭角を現しました。
2010年に東北福祉大学に進学。
同年のアジアアマチュア選手権で日本人として初の優勝を遂げ、翌年のマスターズ・トーナメント出場権を獲得します。
2011年にマスターズに出場すると、予選も通過し、日本人としては初めてローアマチュア(アマチュア最上位)を獲得。
この年の11月には、三井住友VISA太平洋マスターズで初の日本ツアー優勝を果たしました。
ちなみに、アマチュアでの日本ツアー優勝は、倉本昌弘(くらもと・まさひろ)さん、石川遼(いしかわ・りょう)さんに次ぐ史上3番目の快挙です。
2013年4月には、大学ゴルフ部に在籍しながら、プロに転向しています。
◆父親の職業は?
実家のお父さんの名前は、松山幹男(まつやま・みきお)さん。[2]
1954年〈昭和29年〉4月20日生まれになります。
父・幹男さんの職業は、地元のパチンコチェーンの店長さん。
幹男さんは、たまに仲間内のコンペに誘われると、付け焼刃のように練習場へ球を打ちに行く程度のゴルファーでした。
そして、父・幹男さんの練習に付いて行った、当時4歳の英樹さんは、運命の言葉を放ちます。
僕もボールが打ちたい!
幹男さんは、中古の9番アイアンを短く切って、英樹さんに与えました。
しかし、いくらシャフトを短くしても、4歳の子では振ればふらつき、姿勢が悪くなります。
それを矯正して、背筋が真っ直ぐになるように注意するのが、父・幹男さんによるレッスンの基本でした。
英樹さんはオモチャを与えても、すぐに友達にあげてしまうほど、執着心のない子供でした。
しかし、なぜかゴルフだけはまったく飽きず、原っぱで黙々とボールを打って遊んでいたといいます
松山選手の家庭はそれほど裕福ではなく、練習場へも滅多に連れて行くことはありませんでした。
しかし、ゴルフに夢中になっている息子のために、幹男さんは一大決心をします。
自分もゴルフがもっとうまくなって、この子に上の世界を見せてあげよう…
ゴルフ場の会員になり、月例や研修会に出るようになった父・幹男さんは、必ず息子を連れて行きました。
やがて幹男さんの腕前は、クラブレベルから四国レベルへ上がり、ついには52歳にして、『日本アマチュア選手権』に初出場するまでに。
松山選手が小学4年生のとき、幹男さんは『中四国オープン』に出場し、息子をキャディとして帯同します。
『日本アマチュア選手権』のときも、キャディは中学3年の松山選手でした。
息子を帯同キャディにした理由を、幹男さんはこう語ります。
強い選手がどんなプレーをするのかを息子に、間近で見せたかった。
どんなタイミングでアドレスに入るのか。
それが乱れるのはどんなときなのか。
私が英樹に一番見せたかったのは、技術よりメンタルです。
それが試合の中でどう変わるかとか。
呼吸がどう変わるかとかルーティーンの変化です…
物怖じしないゲーム運びで、ギャラリーを魅了する日本の若き新星は、こうして育てられたのでした。
◆母親
松山英樹選手のお母さんの情報はほとんどありませんが、ご健在で、全米ツアーの応援などには、家族と出掛けているそうです。
◆姉と妹
松山英樹選手にはお姉さんがいて、名前は松山美瑚(まつやま・みこ)さん。[3]
年齢は、英樹さんより1歳年上です。
お姉さんもゴルファーで、現在は「愛媛県エリエールゴルフクラブ松山」にハウスキャディーとして所属しています。
松山英樹選手には妹もいますが、妹の情報は公開されていません。
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