広島東洋カープに所属する、“赤ヘルの切り込み隊長”こと、田中広輔(たなか・こうすけ)選手。
今回は、そんな田中選手を育み、支えてくれる『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
◆兄弟はいる?
田中広輔選手は、5人兄弟の第2子で長男。
上には2歳年上のお姉さんが1人、下には妹1人と弟が2人います。
田中選手は、お姉さんには頭が上がりませんが、弟には食器の後片付けを促すなど、厳しいお兄さんでしたd( ̄  ̄)
そして実は、田中選手は「料理男子」。
両親が共働きだった事もあり、何と小学1年から自炊が出来ていました( ゚д゚)
中学時代、毎朝、5人兄弟全員の弁当を作っていたこともあるそうです。
得意料理はオムライスですが、チャーハンも絶品だそうです(^O^)/
◆弟もドラフト候補!
田中広輔選手の2番目の弟の名前は、田中俊太さん。
1993年8月18日生まれなので、今年(2017年)で24歳になります。
俊太さんも野球選手で、
“高校は、相模しか知らなかった”
ということで、東海大相模へ進学しました。
俊太さんは、1年生の秋から二塁手でレギュラーの座を掴むと、春夏、甲子園に3回出場。
3番セカンドで挑んだ3年春には、選抜優勝を経験しています。
その後、東海大に進んだ俊太さんは、3年の時に全国制覇。
4年生の時には、主将を務めました。
輝かしい実績を掲げ、2015年ドラフトでプロ志望届を出した俊太さん。
しかし、残念ながら指名がなく、現在は社会人野球の日立製作所でプレーしています。
兄の広輔さんも、JR東日本からドラフト指名されているので、まだまだ俊太さんにもチャンスがあるでしょう!
《2017年10月26日追記》
弟の俊太さんは、2017年ドラフトで、巨人に5位指名されました。
そのまま入団が決まれば、兄とはライバル球団となりますが、
“まずは同じステージに立てるようにしたい。チャンスがあれば勝ちにこだわって強い気持ちを持ってやりたい”
と抱負を語りました。
◆お嫁さんの名前は?
田中広輔選手はすでに結婚しており、お嫁さんの名前は亜子さん。
亜子さんは、東海大相模時代の同級生だそうなので、年齢は田中選手と同い年ですね。
2人が入籍したのは、2013年3月。
その後プロ入りが決まり、新入団発表や球団施設見学など一連の行事を終えた12月21日に、挙式を行いました。
しかし、新人合同自主トレを優先し、ハネムーンは保留。
“あまり時間がないので…。彼女もそれを分かってくれています。『それでいいから。時間ができた時でいいから』と言ってくれました”
嫁・亜子さんも納得ずくだったそうです。
ちなみに1年目のオフに、2人は1年遅れの新婚旅行で、ハワイへ出かけています。
◆子供はいる?
田中広輔夫妻に、子供はまだいないようです。
今度は、日本一を達成するまで、お預けなのでしょうか?( ◠‿◠ )
◆父親も野球選手
田中広輔選手のお父さんの名前は、田中正行さん。
年齢は、今年(2017年)で57歳になります。
実は、父・正行さんも、元野球選手。
高校は東海大相模の出身で、原元監督の2年後輩に当たります。
1年生の時には、原元監督の下で、チームは甲子園の優勝候補と言われました。
2年生の時には、正行さんも背番号14でベンチ入りし、甲子園の土を踏んでいます。
そうして迎えた3年の夏、遊撃手だった正行さんたちのチームは、神奈川大会の準々決勝で横浜商に敗れました。
“信じられない思いでグラウンドに立ちつくした…”
父・正行さんの夏は、ここで終わったのでした。
◆父親の職業は?
その後、父・正行さんは、座間市役所に勤めながら、職場の軟式野球部で活躍しました。
やがて、家族を持ち、3人の息子と2人の娘に恵まれます。
しかし、父・正行さんは、子供たちに
“野球をやれ”
とは言いませんでした。
それでも3人の息子は、自然に野球を始めたそうです。
“小さい頃から、父はずっとあこがれの存在だった…”
長男の田中選手も、週末の試合には父親について行き、一緒にボールを追いかけました。
◆自慢の父
田中選手は小学6年のとき、地元の硬式野球チームに入り、正行さんも頼まれてコーチに就任します。
お父さんはすぐに、野球を始めたばかりの純粋な子どもたちに野球を教えることに夢中になりました。
後にチームの監督となり、全国大会にも出場する強豪に育て上げたのでした。
お父さんは、野球がうまくて料理もでき、テレビが壊れたら、分解して修理してしまう。
正行さんは、田中選手の自慢の父であり、
“おやじと似てきたな( ^∀^)”
と、言われるのがとても嬉しいのだそうです(#^.^#)
◆母親の名前は?
田中広輔選手のお母さんの名前は、田中由美さん。
年齢は、お父さんより1歳年下なので、今年(2017年)で56歳になります。
母・由美さんに言わせると、田中選手の性格は負けず嫌い。
“小学生の時は校庭に出るのも1番がよくて、勢いよく飛びついた鉄棒から落ちて骨折した事も…”
と昔を思い出します。
田中選手がプロ入りした時、お母さんが田中選手に求めたことは、
“夢を与える選手になって欲しい…”
ということ。
田中選手はお母さんの希望通り、日本中に夢を与えています!
◆まとめ
田中広輔選手には、野球を始めたばかりの5歳のころの記憶があります。
毎朝6時に父・正行さんを起こし、
“キャッチボールいこうよ!”
と誘うと、眠そうでしたが必ず来てくれました。
父の出勤前、マンションの中の小さな広場で、10分ほどキャッチボールをするのが何よりも楽しかったそうです。
田中選手の野球に対する思いは、父から子に、大切に受け継がれてきました。
今度は新しい『家族』に、ボールを渡す番ですね(^O^)/
◇編集後記
田中広輔選手モデルの“ロールふせん”を見つけました。
カープ女子には、たまらないカープグッズですね。
使い勝手はどうなんでしょう…(^_^;)
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