広島東洋カープでセカンドを守る「ニンジャ」、菊池涼介(きくちりょうすけ)選手。
今回は、そんな菊池選手を取り巻く『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
◆実家は東村山4丁目ヽ(^o^)
菊池涼介選手の出身は、東京都東大和市。
中学校を卒業後は実家を出て、長野県塩尻市にある武蔵工業大学第二高等学校(当時)へ進学しました。
武蔵工大二高の野球部は、名将・大輪監督が率いていましたが、当時、甲子園出場歴はなく、菊池選手も甲子園の土は踏んでいません…(T_T)
ところで実家は、菊池選手が15歳の時に東京都東村山市に移っており、菊池選手は地元の英雄・志村けんさんの大ファンです。
以前、テレビ番組で志村さんと共演した時は、
ボク、東村山が実家なんです。4丁目なんですけど…。
と実家の住所まで暴露。
実は、東村山市に「東村山4丁目」という住所は実在せず、志村さんの「東村山音頭」の歌詞にかけたのでしたヽ(^o^)
入団当初には登場曲を「東村山音頭」にするプランもあったようですが、現在まで実現していないようです(>_<)

◆父親の職業は医師?
菊池涼介選手の家族については、薄いベールに包まれているような印象を受けます。
菊池選手の明るいキャラクターの陰には、家族の事情があるのでしょう。
お父さんは、巨人の星の〝星一徹〟のような方だったそうです。
小学校から帰ってきた涼介少年は、まず野球の練習を課され、練習が終わらないと遊びに行くことができませんでした。
涼介少年はこういう束縛される状況が嫌で、高校からは実家を飛び出したとも言われています。
菊池選手は大学進学を希望していましたが、
家庭の経済的な事情
により、行きたい大学にはいけませんでした。
菊池選手のお父さんを調べると「医師」というキーワードが出ますが、職業が医師であれば「家庭の経済的事情」ということにはなりません。
結局、菊池選手は、武蔵工大二高の大輪監督の紹介で、特待がある中京学院大へ進学します。
菊池選手は、両親からの仕送りがほとんどない中、アルバイトをしながら4年間、野球を続けました。
アルバイト先は、牛丼店やパチンコ店。
牛丼店では余った牛丼をもらって帰り、パチンコ店では賄いの食事で空腹を満たしていたそうです。
◆2年連続・母の日に捧げる満塁ホームラン
菊池涼介選手のお母さんは、メディアに登場することはありません。
菊池選手の母親にまつわる話題と言えば、2013年と2014年の母の日に、2年連続で満塁ホームランを放ったこと。
偶然と言えばそれまでですが、母の日に、何か特別な思いがあったのでしょうか?
◆兄弟はいる?
菊池涼介選手にはお兄さんがいて、名前は菊池啓介さん。
年齢は、菊池選手より5歳年上になります。
兄・啓介さんは、内山田洋とクール・ファイブが歌う「東京砂漠」が好きだったそうで、菊池選手はお兄さんの影響を受けて昭和を愛するようになりました。
◆結婚発表はあるのか?
菊池涼介選手は、今年(2017年)で27歳になり、結婚してもおかしくない年頃です。
大学時代からつきあっている彼女がいたそうですが、現在は彼女はいないとのこと。
最近、テレビで「結婚の予定は?」と質問されたときも
選手会の納会で恋愛運MAXって言われたんですけど…全くないです!!!
と即答。
(温かいご飯を)食べたいです!!!超食いたいッス!!!!!家を掃除してもらいたいッス!!!
と、結婚願望はあるみたいですが、結婚発表はまだ先になりそうですね(^_^;)
◆まとめ
2016年、菊池涼介選手の人生を綴った曲、「えがお」がリリースされました。
「えがお」ではこう歌われています。
笑顔と書いた帽子のつばを
ぐっと上げて見つめるこの先には
辛いことさえも乗り越えてきた
昨日よりも強い僕で突き進め♪
歌詞にあるとおり、菊池選手は辛い人生も、笑顔で乗り越えてきたのでした。
菊池選手はこれからも、明るい笑顔と破天荒なプレーで、日本中を元気にしてくれることでしょう!
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