「君の名は。」で知られる稀代のヒットメーカー、新海誠(しんかいまこと)監督。
今回は、そんな新海監督を取り巻く『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
◆実家は「新津組」
新海誠監督は、長野県南佐久郡小海町で生まれました。
郷土愛が大きく、今でも長野の県歌「信濃の国」が歌えるということです。
新海監督の実家は、明治42年創業の建設会社「新津組」を代々営んでおり、もし新海監督が家業を継げば4代目に当たるのだとか。
そんな環境で生まれ育った新海監督は、子供の時からSFや宇宙関係のものが大好きで、愛読書は
『宇宙のひみつ』『月世界旅行』『失われた世界』『ホーキング、宇宙を語る』
と、宇宙の本ばかり(^o^)
さらに、当時はまだ珍しかったパソコンを買い与えられ、遊んでいたそうです。
運動面では、小学校時代はスピードスケート部に所属し、早朝から松原湖で練習に励んでいました。
中学では男子バレーボール部部長を務め、長野県立野沢北高等学校では弓道部に所属。
特別何かに秀でた存在ではなかったものの、学級委員や生徒会といった役を押し付けられるタイプだったそうです。
大学からは上京し、中央大学文学部へ進学。
大学では、児童文学研究会に所属して、絵本の制作活動をしていました。
◆父親の職業は?
新海誠監督のお父さんの名前は、新津正勝さん。
年齢は、今年で73歳になります。
ちなみに、新海監督の本名は、新津誠さんです。
父・正勝さんは、実家の「新津組」の3代目社長。
老舗の家業を、年商70億円ほどの年内屈指の建設会社に成長させたやり手です。
そんなお父さんですから、当然、4代目は新海監督に継がせるつもりでした。
ただ、大学出たてで新津組に入れるのではなく、
他で修業させてから
と考えており、都内の住宅メーカーの社長さんに預けるつもりでした。
新海監督も納得していたはずですが、大学4年の秋口になると、新海監督が電話をかけてきます。
お父さん、ゴメン。若い時でないとできない仕事がある。だから紹介して貰った会社には……
新海監督は、アルバイトとして出入りしていたゲーム会社の「日本ファルコム」に行きたかったのです。
お父さんは、
好きにしていい
とは言ったものの、これは、老舗の家業が跡取りを失うことを意味していました。
新海監督の活躍は、理解ある父・正勝さんのおかげでもあるのですね(^_-)
◆絵が得意な母親
新海誠監督のお母さんは、絵が得意な方で、県の美術展に入選することもあったそうです。
新海監督の芸術的な才能は、母親譲りのようですね。
新海監督が日本ファルコムに勤めていた頃、お母さんは上京して、息子の部屋に泊まったことがあります。
その時、新海監督は、夜中に帰宅してから3時頃まで自分のアニメを作り、6時に起きて出社していたそうです。
忙しい中、夢を追う息子を目の当たりにし、お母さんは何を思ったのでしょう。
◆お嫁さんは女優の三坂知絵子
新海誠監督は結婚しており、お嫁さんは女優の三坂知絵子さんです。
知絵子さんは、1977年8月7日生まれで、今年(2017年)で40歳になるので、新海監督より4歳年下ですね。
知絵子さんは山口県下関市の出身で、中学から劇団で活躍し、高校時代は演劇部の部長を務めました。
上京して早稲田大学に進学すると、「劇団木霊」に入団。
2000年には「Versus」でヒロインに抜擢され、その後、数十本の映画や舞台に出演しています。
新海監督との馴れ初めははっきりしませんが、きっと時空を超えたロマンスがあったのでしょう(*^^*)
◆娘・新津ちせの出演CMは?
新海誠監督には一人娘がいて、名前は“新津ちせ”ちゃん。
2010年5月23日生まれなので、今年(2017年)で7歳になります。
“ちせ”ちゃんは子役として活動しており、劇団ひまわりに所属。
2014年にはミュージカル「ミス・サイゴン」に出演したほか、
「ゆう活ジャンプ」「アキタきよらグルメ仕立て」「ミライフ」
など、たくさんのCMに出演しています。
一回教えるだけですぐにセリフを覚える
という、両親譲りの才能で、これからの活躍が楽しみですね。
◆まとめ
これまで見てきたとおり、新海誠監督の活躍の陰には、温かく支えてくれた『家族』の姿がありました。
これからも「新海ワールド」で、世界中を元気にして欲しいと思います( ˆoˆ )/
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