2017年8月8日、女優の真理明美(まり・あけみ)さんが肝細胞がんのため亡くなりました。
今回は、在りし日の真理さんと家族の姿を追い、故人を偲びたいと思います。
◆実家は岩手・花巻
真理明美さんは、岩手県花巻市出身。
高校は、岩手県立花巻南高等学校を卒業しています。
花巻南高校出身の他の有名人には、「ときめきトゥナイト」を描いた池野恋(いけのこい)さんがいます。
野球部も強豪ですが、最近では野球部員のイジメ動画がツイッターにアップされ、話題となりました。
ちなみに、大谷翔平選手を生んだ甲子園の強豪は、私学の花巻東高校です。
真理さんは1963年、22歳の時に松竹に入社し、映画「モンローのような女」で主演デビューします。
その後は、活動の拠点を映画からテレビへと移し、1969年より始まったドラマ「プレイガール」でブレイクしました。
プレイガールは、今では放送が難しいレベルのお色気女性アクションドラマでしたが、なんと昭和天皇も見られていたのだとか(*^_^*)
しかし真理さんは、プレイガールの撮影の多忙さと主婦業の仕事のため腎臓を患い、番組を降板。
回復後は時々、プレイガールシリーズや他の作品に出演していました。
◆夫は映画監督・須川栄三
1969年、真理明美さんは、映画監督の須川栄三と結婚しました。
須川さんは1930年9月8日生まれなので、真理さんより11歳年上。
結婚した当時は、須川さん39歳、真理さんが28歳ということになります。
夫の須川さんは大阪の石綿製造販売業の家に生まれ、1953年に東京大学経済学部を卒業。
終戦直後、大量に輸入された外国映画の洗礼を受け、東宝に入社し映画界に入りました。
1958年、当時起こった「石原慎太郎の監督起用反対運動」に対する会社側の解決策として、須川さんは監督に昇進。
入社から5年、27歳での異例のスピード昇進となりました。
1959年の監督第2作『野獣死すべし』では、若いスタッフが中心となってクールなピカレスク・ロマンを作り上げ、日本映画のヌーヴェル・ヴァーグと絶賛。
以降、日本映画には珍しい、洗練されたハードボイルド・タッチの作品を得意としてきました。
私生活では無宗教を貫き、真理さんと結婚した際には「愛の契約書」を交わして挙式に代えまています。
映画の他には、青山霊園の近くに「海味(うみ)」という寿司屋を真理さんと経営していました。
グルメな俳優・阿藤快(あとうかい)さんも一押しのお店だったそうです。
夫の須川さんは1998年に亡くなっています。
◆子供はいたのか?
真理明美さんと須川栄三さんの間に子供がいたのかについては、明確に分かりません。
真理さんの葬儀は、すでに「近親者で」済まされています。
◆まとめ
これまで見てきたとおり、真理明美さんのミステリアスな人生の傍らにも、温かく支えてくれた『家族』の姿がありました。
今ごろは空の上で、夫・須川さんとの再会を果たしていることでしょう。
ご冥福をお祈り申し上げます。
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