フリースタイルスキー・女子ハーフパイプの小野塚彩那(おのづか・あやな)選手。
今回は、そんな小野塚選手を取り巻く『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
◆結婚を発表!
小野塚彩那選手は、2017年のクリスマスイブにブログを更新しました。
“帰国と内定とオープンとクリスマス”
という謎めいたタイトルでしたが、なんとここで自身の結婚を発表します。
しかも、2016年の9月には結婚していたということなので、1年以上たってからの結婚発表ということになります。
タイトルに“内定”も含まれており、直前に平昌五輪への出場も内定。
小野塚選手は五輪出場が決まってから、自身の結婚もオープンにしたかったのでしょうね。
◆旦那さんもスキーヤー?
小野塚彩那選手の気になる旦那さんですが、残念ながら名前などは公表されていません。
しかし、ブログには、
“うちのヒゲサンタは今日もどこかの雪上で頑張っていることでしょう”
というコメントとともに、ヒゲの男性の写真を掲載。
大きなゴーグルで顔がはっきりと分かりませんが、スキー関係者の可能性が高いと思われます。
ヒゲのスキーヤーと言えば、アルペンスキーの皆川賢太郎さんが浮かびますが、この方の奥様は上村愛子さん…
現時点では、旦那さんの素性は分かりませんが、平昌五輪会場でお見かけするかもしれませんね。
小野塚選手はブログに
“なかなか一緒にいれないけど、あいらぶゆー”
と綴っており、旦那さんへの愛情を隠そうとしません(#^.^#)
◆父親は国体選手
小野塚彩那選手の父親の名前は、史朗さん。
父・史朗さんはスキージャンプの国体出場経験者で、猛スピードで空中を飛びますが、飛行機は苦手なのだとか(>_<)
SAJバッジテスト最高峰『クラウンプライズ』とSAJ公認パトロールの資格を持ち、冬をこよなく愛するお父さんです。
少年団のコーチも務める父の指導で、小野塚選手は2歳からスキーを始めました。
父にくっついてジャンプを飛んだこともありますが、アルペン(ジャイアントスラローム)競技で全日本学生スキー選手権大会等を制し、頭角を現します。
ハーフパイプに転向したのは、20歳を過ぎた2011年になってからで、
“ただ単純にオリンピック種目になったから”
という理由でした。
しかし、転向後わずか3年で、ソチ五輪銅メダルに輝いたのは、幼少期からの指導とアルペンの技術が生かされたためでしょう。
◆母親の名前は?
小野塚彩那選手の母親の名前は、ゆかりさん。
年齢は、今年(2018年)で49歳になります。
母・ゆかりさんもスキーは指導員並みの腕前で、サバサバした性格のスレンダー美人ですが、お酒は一滴も飲めません。
小野塚選手に“彩那”という名前を付けたのもお母さんでした。
実は、母・ゆかりさんは長渕剛さんの大ファン。
小野塚選手が生まれる6日前に、長渕さんの娘・文音(あやね)さんが誕生しており、名前も似ていますね。
◆弟の年齢は?
小野塚彩那選手には弟がいて、名前は小野塚光輝さん。
年齢は、今年(2018年)で23歳なので、小野塚選手より7歳年下になります。
弟の光輝さんはスキーではなく、サッカーをしていたそうです。
2017年2月の小野塚選手のブログには、ファミリースキーの様子が紹介され、
“お父さんも私も弟と滑るのが初めてだった今日(笑)”
とあります。
2歳からスキーの英才教育を受けた小野塚選手とは対照的ですね。
◆実家は旅館経営
小野塚彩那選手の母方の実家は、新潟県南魚沼市で旅館「勝田屋」を経営しています。
旅館「勝田屋」は石打丸山スキー場の近くにあり、プロ選手が宿泊すると
“どうやって滑るの?”
と、質問攻めにしていたそうです。
◆まとめ
小野塚彩那選手は、根っからのおじいちゃん子。
母方の祖父・勝利(かつとし)さんからは、
“1位以外は全部一緒だ”
と教えられて育ちました。
ソチ五輪で銅メダルに輝いた小野塚選手でしたが、あくまで目標は金メダル。
そんな小野塚選手が目標を叶えたのは、2017年3月18日のスキー世界選手権で、奇しくも、2012年に亡くなった祖父・勝利さんの命日でした。
“最後の最後に優勝できて、すがすがしい気持ち”
小野塚選手初の金メダルは、スキーの手ほどきをしてくれた祖父への最高の贈り物にもなりました。
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