スポーツクライミング女子複合で東京オリンピックに出場する、野口啓代選手。
今回は、そんな野口選手の実家や結婚観など『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
◆実家の牧場には専用壁
①実家は“野口牧場”
野口啓代選手は、茨城県龍ケ崎(りゅうがさき)市の出身。
実家は『野口牧場』という名前で、牧場を運営していました。
茨城県の自然豊かな街外れ。
毎日、酪農機器や積み上げられた干し草、古びたサイロを見上げながら、実家の牧場を走り回る…
木や牛舎の屋根に登ったり、牧場でかくれんぼをしたり…
それが野口選手の幼い頃の日常でした。
②実家のボルダリング壁
野口啓代選手の実家には、以前から専用のボルダリング壁がありました。
野口選手が中学生のころ、父親が古い牛舎の片隅に、知人と2人掛かりで1週間ほどかけて作ってくれたものです。
野口選手はここで、ホールド(突起物)で埋め尽くされた壁と向き合い、黙々と練習を重ねてきました。
10代の頃は多い時に、1日800手から1000手近くを登っていたといいます。
高さ12メートル以上の壁を登る「リード」の場合、頂点まで40手ほどなので、1日で20~25本も登った計算になります。
30歳を超えても、野口選手が世界の頂点に立てるのは、こうした日々の積み重ねのたまものなのです。
実家の練習場は、当初は小さな箱のような空間でしたが、野口選手の成長に合わせて拡張されていきました。
現在(2020年)では、高さ4メートル、広さは60畳ほどになっています。
③実家のスピード壁
2019年の春、野口啓代選手の実家には、新たにスピード壁が設置されることとなりました。
今度は父親の手作りではありませんが、1000万円を超えるという費用は、父親が出資してくれるのだそうです。
東京オリンピックのスポーツクライミング競技は、
- ボルダリング
- リード
- スピード
の3種目・複合方式で争われます。
ボルダリングは実家に専用壁があったため、野口選手が得意とする種目。
リードもボルダリングの壁で練習が可能ですが、スピードはそうはいきません。
日本全国でも、スピード壁は10カ所ほどしかなく、野口選手にとっても日本全体にとっても、スピードは弱点となっていました。
今までは練習環境がなかったことで、弱点から逃げていた。これで逃げられない。これからはスピードの練習も自分のペースでできる
野口選手は、ますます闘志を燃やしているようです。
④実家の搾りたて牛乳
野口啓代選手の強く美しい肉体は、実家の牛乳が源。
夜は炭水化物は控えめにして、毎晩就寝前に牛乳を飲むのだとか。
ミルクが子供のころから大好きで、1日1リットルぐらい飲んでいます。
実家が牧場で、搾りたての牛乳が飲み放題なので、ある意味当然なのかもしれませんね。
ちなみに「牛乳石鹸よいせっけん♪」でおなじみの牛乳石鹸共進社は、野口選手のスポンサーをつとめています。
野口選手の実家の商売が関係しているのかと思いましたが、
選手が滑り止めとして指先につけるチョークを「せっけんで洗い落とす」
という関連から、女子クライマー全体の公式スポンサーとなっているようですね。
⑤小学校時代
野口啓代選手は、龍ケ崎市立八原(やはら)小学校の出身。
そして、野口選手がクライミングと出会ったのは、小学校5年生の頃に家族で行った、グアム旅行でした。
たまたま立ち寄ったゲームセンターにクライミングの人工壁があった
ということで、父親と妹とチャレンジし、すぐに夢中になりました。
そして日本に帰ってから、父親が家の近くに見つけてくれたクライミングジムに通い始め、クライマー人生がスタート。
小学校6年生の時に初めて出場した『フリークライミング全日本ユース選手権』のリードの部で優勝し、早くも頭角をあらわします。
2018年1月、地元の龍ケ崎市総合体育館にボルダリングウォールが新設され、完成記念イベントには野口選手が登場。
母校・八原小学校の5年生157人にボルダリングを指導し、交流を温めました。
⑥中学校時代
野口啓代選手は、龍ケ崎市立城ノ内(じょうのうち)中学校に進学しました。
中学生の頃は周りにクライミングをやっている友だちもいなくて、黙々と練習するのは正直やる気が出ないことも。
ふつうの中学生のように、いろんな部活を経験してみたいという気持ちもありました。
しかし父親は、
中学生になったらジムに通う時間がないだろう
と、古い牛舎を改造し、手製のプライベート・クライミングジムを完成させます。
懸命な父親の姿を目の当たりにし、野口選手も
やめられないな…
と、引くに引けなくなりました(^_^;)
それでもクライミングを続けられたのは、単純に楽しかったから。
昨日登れなかったホールドに今日は到達した…
思春期の野口選手は、自分の身体的変化と日々の成長を、壁を通して感じながら成長していきました。
そして中学校2年生で、大人も出場する国内大会のボルダリング競技で優勝しています。
⑦高校時代
野口啓代選手は、東洋大学附属牛久(うしく)高等学校に進学します。
高校1年生のとき、初めて世界選手権(ドイツ)に出場し、リードで3位。
高校2年生ではワールドカップのボルダリングで2位入賞を果たしました。
⑧大学時代
野口啓代選手は、そのまま東洋大学ライフデザイン学部健康スポーツ学科に進学しました。
大学1年生の時には18歳にして優勝し、初めて世界の頂点に立ちます。
その後、野口選手は大学を中退し、プロに転向しました。
大学を中退した理由については、
クライミングで強くなるためには(通学は)必要ではない時間だな、毎日クライミングが強くなることとかうまくなることだけ考えて生きていきたいなと思って
と、話しています。
◆父親の職業は?
①父親の職業は?
野口啓代選手の父親の名前は、野口健司さん。
年齢は、今年(2020年)で56歳になります。
先にご紹介したように、牧場を営んできた父・健司さんですが、現在はホールドの輸入販売を通じて、クライミングに深く関わっています。
父・健司さんとクライミングとの出会いは野口選手と同じで、家族で行ったグアム旅行のとき。
帰国してからは親子で楽しく練習をしていましたが、お父さんは肩を怪我して登れなくなってしまいました。
その後も、世界中のトップクライマーから大会結果、岩、クライミングジム、ギア、ホールドまで、クライミングのことならなんでも興味津々。
2013年ごろ、野口選手に対して
大好きなクライミングに携わることがしたい
と、相談がありました。
親子で話した結果、
日本にはこんなにもたくさんのクライミングジム(があるのに)まだまだ輸入されていないホールドがあるなんて勿体ない!
ということで、ホールドの輸入販売を始めることとなりました。
会社名は、THE FARM climbing hold depot。
ホームページ(http://thefarmclimbinghold.com/)は牛のロゴマークが目印です。
②父親の涙
2019年8月、野口啓代選手は世界選手権で銀メダルを獲得し、東京オリンピック出場が内定しました。
これまで、野口選手の競技生活を支えてきた父・健司さんは、
年取ると涙もろくなるけど、五輪内定が決まった時は涙が出た
と、万感の思いを口にしました。
ちなみに現在、野口選手がつけているネックレスは、20歳の誕生日に健司さんからもらったもの。
たくさん金メダルがとれるようにと金色のチェーンに、誕生石のエメラルドをイメージしたカラーとなっています。
東京オリンピックでは、父と娘の夢が金色の形となって現れることでしょう。
クライミング野口 父健司さん手作り壁で「成績安定」 衰えぬ情熱支援 https://t.co/P5GVJsyfHz
— 毎日新聞ニュース (@mainichijpnews) August 11, 2019
◆母親の手料理
野口啓代選手の母親は、食事の面で競技を支えています。
しかし、お母さんがつくる食事は量が多く、クライミングの前に食べると、体が重くて動けなくなるのだとか(^_^;)
それでも大事な大会の前には実家に帰り、父の作ってくれた壁を登って、母の手料理(コロッケ)を食べてから出発するというのが、野口選手のルーティン。
お母さんのコロッケは、2020年8月にもふるまわれることになるでしょう(^^)v
◆妹がいる
野口啓代選手には、妹がいます。
グアム旅行のあとは、妹さんもクライミングをやっていましたが、中学校の部活が楽しくなってからはクライミングから遠ざかりました。
妹さんは、2014年ごろに就職して、社会人になっています。
◆結婚や子供について
野口啓代選手は、東京オリンピックを最後に引退することを表明しています。
海外の女性アスリートと話すことが多い野口選手は、彼女らが結婚や妊娠のタイミングを考えながら競技していることを知り、自身も考えてきました。
その結論が、31歳で迎えるオリンピックでの引退なのでしょう。
結婚のイメージについては、
結婚してもたぶん何も変わらないと思います
と、笑って話す野口さん。
自分の子供にクライミングをさせるのかと尋ねられると、
あまりさせたいなとは思わないですけど、好きになってくれたのならサポートしたいなって思います。でも無理やりやらせたいとは思わないですね
と話しています。
◆まとめ
これまで見てきたとおり、野口啓代選手の活躍の陰には、温かく支えてくれた『家族』の姿がありました。
これからも家族の応援を胸に、野口選手の挑戦は続いていきます(^o^)丿
コメント