【里見浩太朗】の家族~13歳年下妻との平穏な生活…前妻の息子・佐野圭亮へ続く俳優の道

長年にわたって日本の時代劇を支えてきた俳優、里見浩太朗さん。

元々は歌手志望でした!

今回は、そんな里見さんを取り巻く『家族』の物語です。

名  前:里見浩太朗(さとみ・こうたろう)
本  名:佐野邦俊(さの・くにとし)
生年月日:1936年〈昭和11年〉11月28日
血液型 :A型
身  長:173cm
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◆家系図・家族構成

里見浩太朗さんの実家の家族構成は、父親、母親、兄、本人の4人家族です。

自身は1966年に結婚し長男をもうけましたが、1974年に離婚。

1976年に再婚しています。

父方の佐野家は山梨県南部町井出にあり、初代の佐野光次は戦国時代に武田信虎に仕えた武将。

代々武田家の家臣として仕え、祖父・勝三郎の代には農業・林業のほかに塩の販売なども手掛け、村で一二を争う財産家でした。

◆父親・佐野亀一

里見浩太朗さんの父親は、佐野亀一さんです。

1904年〈明治37年〉1月1日、山梨県南部町の佐野家に生まれ、軍人への道を歩みました。

亀一さんが憲兵になって6年目の頃、東京・神田の路地裏にあったパン屋を訪れます。

そこで出会ったのが、店員として働いていた木伏エツさんでした。

亀一さんはエツさんに一目惚れ。

パン屋に通うようになり、二人は惹かれ合っていきます。

しかし、エツさんの両親は交際を認めませんでした。

それでも二人の思いは変わらず、1931年〈昭和6年〉4月、神田明神で質素な結婚式を挙げます。

この時、亀一さんは29歳、エツさんは20歳でした。

やがて二人の間に子供が生まれます。

1936年、後の「里見浩太朗」となる邦俊さんが誕生しました。

しかし、家族の幸せは長くは続きませんでした。

◆父との別れ

1937年〈昭和12年〉、日中戦争が始まると、亀一さんには中国への派遣命令が下ります。

出発の朝、亀一さんは妻に手紙を書くことを約束しました。

当時5歳だった兄・要さんは、その時の父の姿を今も覚えていたといいます。

亀一さんは7月28日に中国・天津へ到着。

ところが、到着後まもなく戦闘に巻き込まれます。

それでも家族への約束を忘れず、妻・エツさんへ手紙を書きました。

8月中旬、亀一さんの部隊は進軍を開始。

家族のもとには2通目の手紙も届きました。

しかし、その手紙を最後に、亀一さんからの便りは途絶えます。

1937年〈昭和12年〉10月4日、エツさんのもとに夫の戦死を知らせる電報が届きました。

亀一さんは山西省付近で戦死したのです。

里見さんはまだ幼い子供でした。

父親と暮らした記憶がほとんど残らないまま、少年は母と兄とともに生きていくことになります。

亀一さんの最期は、同じ部隊にいた憲兵による報告書が残っています。

それによると、亀一さんたちは山西省付近を進んでいた際、中国軍から激しい攻撃を受けます。

亀一さんは弾丸を受けて倒れました。

しかし、その後も軍刀を抜いて敵に向かっていき、手榴弾を受けて亡くなったとされています。

◆母親・木伏エツ

里見浩太朗さんの母親は、木伏エツさんです。

夫・亀一さんを戦争で失った後、戦後の苦しい時代を生きながら、エツさんは二人の息子を育てました。

やがて里見さんは俳優となり、時代劇スターとして人気を集めるようになります。

しかし、収入が増えると生活も派手になりました。

そんな息子を、エツさんは叱りました。

里見さん自身は後に、母の言葉について、

お金、経済ということに関して、心を引き締めて生活していかなきゃいけない

という意味だったのではないかと振り返っています。

華やかな芸能界で成功した息子に対しても、母は変わらず「家族の生活」を見ていました。

その後、エツさんは介護施設で暮らすようになります。

施設で七夕の短冊を書く機会があった時、エツさんが何枚も書いた言葉がありました。

がんばれがんばれ浩太朗

母親が最後まで願っていたのは、息子の幸せだったのです。

2003年〈平成15年〉10月、エツさんは93歳で亡くなりました。

亡くなるまで大切にしていたのは、夫・亀一さんが彫った花瓶だったといいます。

夫の形見を大切に持ち続けたエツさん。

その花瓶には、戦争によって引き裂かれた夫婦の時間が刻まれていたのかもしれません。

◆兄・佐野要さん

里見浩太朗さんには、兄の佐野(かなめ)さんがいます。

父・亀一さんが戦地へ向かった当時、要さんは5歳でした。

出征する父の姿を覚えていた要さんは、幼い弟・邦俊さんとともに母・エツさんに育てられます。

父の帰りを待つ家族の記憶を、兄は幼いながらも胸に刻んでいたのでしょう。

◆長男・佐野圭亮も俳優に

里見浩太朗さんには、前妻との間に長男の佐野圭亮(さの・けいすけ)さんがいます。

1967年〈昭和42年〉10月15日生まれ、京都府出身です。

1990年、NHKドラマ「樅の木は残った」で俳優デビュー。

その後、「HOTEL」「一色京太郎事件ノート」「チーム・バチスタの栄光」などに出演しています。

里見さんと圭亮さんは、時代劇でも共演しています。

2015年の「水戸黄門スペシャル」では、里見さんが水戸光圀役、圭亮さんが神原三十郎役として出演しました。

父と同じ俳優の世界へ進んだ圭亮さん。

その姿には、父から受け継いだものを感じさせられます。

◆現在の妻・信子さん

里見浩太朗さんは現在、妻の信子(のぶこ)さんと暮らしています。

信子さんは里見さんの個人事務所の社長でもあります。

2026年1月には、原田龍二(はらだ・りゅうじ)さん一家との食事会の様子が紹介されました。

妻の原田愛(はらだ・あい)さんは

長い時間が経っても変わらない里見ご夫妻

と記しており、長年にわたる夫婦の交流がうかがえます。

◆エピローグ

里見浩太朗さんの原点には、一枚の写真があります。

1937年〈昭和12年〉12月28日——。

山梨県の井出駅で、戦死した軍人の遺骨を村人たちが出迎えました。

その写真には、戦死した軍人の妻の母親に背負われた、一人の赤ん坊が写っていました。

その赤ん坊こそ、後の里見浩太朗さんでした。

父・亀一さんは、息子がまだ幼いうちに戦地へ向かいました。

母・エツさんは、その後を一人で生き抜き、息子を育てました。

そして里見さんは、東映のニューフェイスから俳優となり、時代劇を代表する存在へと成長します。

母が施設で書いた、

がんばれがんばれ浩太朗

という言葉。

その短冊を見れば、どれほど長い年月が流れても、母にとって息子はいつまでも「浩太朗」だったことが分かります。

そして、その息子には、同じ俳優の道を歩む佐野圭亮さんがいます。

戦地へ向かった父。

家族を守った母。

その背中を見て育った少年。

そして、その少年から次の世代へ受け継がれた俳優という仕事。

里見浩太朗さんの90年は、単なるスターの軌跡ではありません。

戦争で失われた家族の時間も、母が守り続けた日々も、息子へ受け継がれた夢も、すべてが一つにつながった家族の物語なのです。

華やかな舞台の上に立ち続ける里見浩太朗さん。

その人生の原点には、父から届いた二通の手紙と、母が最後まで掲げ続けた「がんばれ」という言葉があったのでした。

◇出典

  1. 里見浩太朗公式ホームページ「プロフィール」 
  2. ORICON NEWS「里見浩太朗のプロフィール」 
  3. NHK総合「ファミリーヒストリー 里見浩太朗~父の死の真実 母が誓った覚悟~」2026年3月1日放送 
  4. C.A.L「水戸黄門スペシャル2015」
  5. C.A.L「水戸黄門第31部」
  6. WEBザテレビジョン「佐野圭亮プロフィール」
  7. 日刊ゲンダイDIGITAL「78歳『水戸黄門』復活…里見浩太朗の元気の秘訣はカカア天下」
  8. ORICON NEWS「“今年90歳”里見浩太朗の近影に…」2026年1月28日

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