◆父親はサッカー経験者
山根視来さんの父親は、あざみ野FCの父兄によって結成している草サッカーチームでプレーしていました。[1]
また、当時のあざみ野FCには、ジェフユナイテッド市原の高木俊幸(たかぎ・としゆき)さんも在籍。
【契約更新のお知らせ】#高木俊幸 選手が2023シーズンもジェフでプレーすることが決まりました
『チームの目標を達成できるように個人としても結果に拘りプレーします!来シーズンも熱く一緒に戦いましょう!!』
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山根家と高木家は近所だったこともあり、チーム活動のない平日は、近くの公園で両家で練習をしていました。
高木選手は、
サッカーの基礎は山根選手のお父さんから学びました
と話しています。
ちなみに、高木選手のお父さんは、元プロ野球選手の高木豊(たかぎ・ゆたか)さん。
高木豊氏がWBC日本代表28選手を予想 参加表明の大谷は投手で 当落線上の選手にも言及/野球/デイリースポーツ online https://t.co/Z1nhD1fl9w #侍ジャパン #プロ野球 #NPB #DailySports
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お父さんは、高木豊さんとも親しく付き合っていました。
実は、山根さんが高校時代、桐蔭横浜大学を練習場にできたのは、偶然ではありません。
高木豊さんを通じて、当時桐蔭横浜大の監督だった風間八宏(かざま・やひろ)さんとお父さんが面識があったからです。
風間八宏氏がC大阪の“技術委員長”就任へ「大切なことは仕組み作りと指導者技能の向上」 https://t.co/KOF8jWJiUz #gekisaka #jleague pic.twitter.com/DE5glQhbGz
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お父さんは、当時コーチを務めていた八城修さんとも仲良くしていました。
父が連絡先を知っていて、八城さんも僕のことを覚えていてくれていた
そんな縁で、桐蔭横浜大→ベルマーレと繋がって行ったのでした。
◆母親のエピソード
山根視来さんの母親のエピソードをご紹介します。
山根さんは、小学校4年生のとき、
本当にプロを目指す人だけが集まるところに行きたい
と言う理由で、あざみ野FCからヴェルディへの転向を志望しました。
この時、お母さんは、
ヴェルディを受けるならあざみ野は辞めなさい。あざみ野FCの仲間を裏切ることになるのだから、後ろを断ってからセレクションを受けなさい
と、息子に迫ります。
山根少年も、
自分が上に行くためにセレクションを受けるのに、落ちたら『また戻ってきます』は違うな
と考え、あざみ野を辞めてからセレクションを受けたのでした。
結果、合格したから良かったですが、ダメだったらどうなっていたのでしょう?
◆2歳上の兄
山根視来さんの兄弟は、2歳年上のお兄さんが1人います。[1]
山根さんが5歳でサッカーを始めたのは、お父さんだけでなく、お兄さんの影響もあったのでした。
前述の高木俊幸さんは、お兄さんの同級生で仲が良く、学校が終わった後はいつも一緒にサッカーで遊びます。
高木さんには、Jリーガーになった弟が2人いるので「山根家対高木家」の戦いに発展。
お互い負けたくないから思い切りユニフォーム引っ張りあい、視来さんのお父さんに全員が怒られていました。
お兄さんは後に、湘南ベルマーレのユースチームに所属。
山根さんがベルマーレでプロ入りが決まった時には、
ここで終わりじゃないぞ
とのエールが贈られています。
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