プロサッカー選手の板倉滉さん。

特技は投げてもらったものを口で取ることです!
今回は、そんな板倉さんを取り巻く『家族』の物語です。
生年月日:1997年〈平成9年〉1月27日
身 長:186cm
血液型 :A型
家族構成:父親、母親、妹
◆実家・生い立ち
板倉滉さんは、神奈川県横浜市の出身で生まれ、生後間もなく兵庫県西宮市へ引っ越しました。
小学校1年生のとき、西宮にある高木サッカークラブへでサッカーを始めています。
しかし間もなく、横浜へ戻ることになり、横浜市立荏子田(えこだ)小学校へ転校しました。
友達との別れはつらく、車の中で号泣した滉さんを見て、両親は、
滉の環境だけは整えてあげないといけないね
と、考えます。
サッカーが好きな息子のためにチームを探し、入団したのがさぎぬまSCでした。
さぎぬまSCは、板倉さんの他に、
権田修一(ごんだ・しゅういち)選手…

三笘薫(みとま・かおる)選手…

田中碧(たなか・あお)選手…

などを輩出した、名門チームです。
その後、あざみ野FCを経て、小学校4年生の時に川崎フロンターレジュニアへ加入しました。
中学校は、横浜市立すすき野中学校へ進学。
サッカーはフロンターレのジュニアユースで続けましたが、中学時代は試合に出れず、壁に当たります。
サッカーに身が入らず、練習に遅刻するようになり、監督に、

サッカーを辞めたい
と漏らしたこともあります。
高校は、神奈川県立川崎北高等学校へ進学。
フロンターレのユースへ昇格すると、身長も伸び、一気に才能が開花しました。
高校卒業を待たず、高校3年生の9月時点で、フロンターレのトップチームに昇格しています。
試合前には、トップ昇格が内定したU-18の板倉滉(左)と三好康児(右)両選手が皆さんの前で挨拶。お祝いモードはこれでひと区切り。これからは今まで以上に注目されるので、U-18の公式戦でしっかりと。 【広報】 #frontale pic.twitter.com/zgN1a85hjM
— 川崎フロンターレ (@frontale_staff) August 17, 2014
◆父親は元高校球児
板倉滉さんの父親は、高校時代はピッチャーとして野球に打ち込んでいました。[1]
そんなお父さんからは、滉さんが3歳の時にグローブを、4歳で木製バットをプレゼントされます。
お父さんとの遊びは、キャッチボールとバッティングセンター。
ちょうど、平成の怪物・松坂大輔(まつざか・だいすけ)投手が横浜高校で活躍している時であり、
松坂のピッチングを目の前で滉に見せるんだ!
と言って、甲子園に連れて行かれたこともありました。

滉さんもボールを投げるのがうまく、お父さんは、
センスがある!
と喜んでいたそうです。
お父さんが目指したのは、イチロー選手を育てた上げたチチロー。

しかし…滉さんは、小学1年生の春、学校のサッカー大会で賞状をもらったことを機に、

おれ、サッカー入るわ
と、サッカーを始めてしまいました⚽️

お父さんの心中は、察するに余りありません…
そんなお父さんも、横浜へ引っ越して落ち込む息子のために、サッカーを応援するようになります。
お父さん自身もサッカースパイクを買い、サッカーの練習に付き添ってくれるようになったのでした。
◆母親は元バレーボール選手
板倉滉さんの母親の名前は、板倉奈保子さん。[2]
1969年頃の生まれになります。
母・奈保子さんは学生時代、バレーボール部で、垂直跳びは70cm近くを跳んでいました。
滉さんのジャンプ力は、母親ゆずりなのですね。
滉さんが小学生の時、奈保子さんは川崎フロンターレのホームページを何げなく見ていたことがあります。
すると偶然、下部組織にジュニア(小学生)を立ち上げるニュースを目にしました。
滉さんと、
受けるだけ、受けてみようか?
と話し合い、募集要項をよく読むと、応募の書類締め切りが「翌日必着」に。
奈保子さんは急いで書類を整え、フロンターレの事務所に持参しました。
滑り込みの応募でしたが無事にセレクションに合格し、フロンターレの1歩を踏み出したのでした。




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