富士通レッドウェーブに所属するバスケットボール選手、オコエ桃仁花選手。
「リロ&ステッチ」のリロになるのが夢でした!
今回は、そんな桃仁花さんを取り巻く『家族』の物語です。
◆実家は東村山
オコエ桃仁花さんは、東京都東村山市の出身。
小学校は地元の、東村山市立秋津東小学校に通いました。[1]
小学3年生からバスケを…ではなく、フラダンス教室に通い始めます。
リロ&スティッチに憧れてたからです
バスケを始めたのは意外に遅く、小学6年生の時。
人数の穴埋めで助っ人としてバスケットボール大会に呼ばれ、初めて出場したバスケの大会でMVPを獲得します。
これがきっかけとなり、秋津東ミニバスケットボールクラブで本格的にバスケを始めました。
中学校は、東村山市立第六中学校へ進学。[1]
バスケ部に入ると、中学3年時に都大会で準優勝し、関東大会では3位という成績をおさめています。
高校は、明星学園高等学校へ進み、2年生の時にはインターハイ3位。[2]
U-17日本代表にも選ばれ、世界選手権に出場しました。
高校卒業後は、デンソーに加入しています。
◆家族構成
オコエ桃仁花さんの実家の家族構成は、父親、母親、兄、桃仁花さんの4人家族です。
自身は独身であり、自らの家族はこれから築くことになります。
◆父親の職業は?
オコエ桃仁花さんの父親の名前は、オコエ・アメメ・ボニーさん。[3]
1961年頃の生まれになります。
名前からわかる通り、父・ボニーさんは外国人で、ナイジェリアの出身。
貿易の仕事をされていて、日本とナイジェリアを行ったり来たりの生活だそうです。
◆母親はバスケ経験者
オコエ桃仁花さんの母親の名前は、オコエ早苗さん。[4]
年齢は、お父さんより11歳年下になります。
実は、母・早苗さんはバスケットボールの経験者でした。
前述のとおり、初めて出場したバスケの大会でMVPを獲得した桃仁花さん。
だけど、別にバスケは全然好きじゃなかった
ということで、大会が終わればフラダンスを続けるつもりでした。
お母さんから、
両立できないから、どっちかにしなさい
と言われたため、迷わず、
フラダンスにする!
と答えます。
しかし翌日、お母さんはフラダンス教室に連絡を入れ「やめます」と伝えてしまいました…
その結果、桃仁花さんはバスケを続けることになりました。
お母さん、バスケをやって欲しかったんでしょうね
◆兄は楽天・オコエ瑠偉
オコエ桃仁花さんにはお兄さんがいて、名前はオコエ瑠偉(おこえ・るい)さん。[5]
1997年〈平成9年〉7月21日生まれなので、桃仁花さんより2歳(1学年)年上になります。
兄・瑠偉さんは、6歳で野球を始め、東村山市立秋津東小学校では1年から軟式の東村山ドリームに所属しました。
東村山市立第六中学校へ進学後は、硬式の東村山シニアに所属。
関東第一高等学校へ進学し、3年夏に甲子園へ出場すると、大会の目玉として注目されます。
準決勝で東海大相模高等学校に敗れましたが、甲子園では18打数6安打1本塁打6打点、打率.333の成績を残しました。
その時のドラフト会議で、東北楽天ゴールデンイーグルスに1位指名を受け、プロ入りを果たしています。
兄・瑠偉さんは、桃仁花さんが東京オリンピックに出場することに対し、
実家にオリンピックのメダルを持ってきてもらいたい。色なんてどうでもよくて、出たこと自体すごいので、ちゃんとリスペクトを持って応援したい
とエールを送っています。
◆まとめ
これまで見てきた通り、オコエ桃仁花さんの活躍の陰には、温かく支えてくれた『家族』の姿がありました。
これからも家族の応援を胸に、桃仁花さんの挑戦は続いていきます(^o^)丿
◇脚注
- 東村山市ホームページ 2021年8月8日確認 東村山市にゆかりのあるオコエ桃仁花選手を応援しよう!
- THE ANSWER 2021年7月2日 私が「バスケで生きていく」と決めた日 オコエ桃仁花を変えた高3のナイジェリアの記憶
- 週刊朝日 2016年3月3日 楽天・オコエ瑠偉 「ルイ・ヴィトン命名説」の真偽
- 週刊現代 2017年5月27日号 楽天・オコエ瑠偉に立ちはだかる「壁」〜一流と超一流は何が違うのか
- 中日スポーツ 2020年6月16日 オコエ桃仁花「私と兄で毎日涙目になりながら支えあった」兄・瑠偉が肌の色の違いで「毎日辛すぎた」経験明かす「おんなじ境遇の人、またその両親の少しでも励みになれば」
バスケットボール選手!
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