東山紀之の『家族』~酒乱のロシア系父から逃れ、母と妹と暮らした壮絶な生い立ち

ジャニーズの大御所、少年隊の東山紀之さん。

Mr.パーフェクトと呼ばれてます!

今回は、そんな東山さんを取り巻く『家族』の物語です。

名  前:東山紀之(ひがしやま・のりゆき)
生年月日:1966年〈昭和41年〉9月30日
身  長:178cm
血液型 :A型
出身地 :神奈川県川崎市
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◆生家は川崎の風俗街

東山紀之さんは、神奈川県川崎市の出身。

当初は川崎駅近くの、風俗店が密集する界隈に、父方の祖父母と同居していました。[1]

東山さんはその家で、

1歳の頃に見た光景が、脳裏に焼きついて離れない

と話します。

それは母親が玄関で男たちに土下座をして、畳には包丁が突き刺さっている場面でした。

男たちは、借金の取り立てでした。

◆実父はロシア系

東山紀之さんの父親は、ロシア系の男性でした。

東山さんはクォーターまたは8分の1でロシア系の地を受け継いでいます

父親は酒とギャンブルにおぼれた人で、家族は借金取りに追われる毎日。

借金取りに土下座していた母は、ある日父親にも土下座してこう言いました。

お願いですから、別れてください

幼子2人を連れ、母親は決死の覚悟で家を出たのでした。

◆母と妹と暮らした壮絶な生い立ち

父親と離婚した母は、川崎のコリアンタウンにある「在日朝鮮人の方が持っている離れみたいな部屋」で新しい生活をスタートさせます。[2]

しかし、暮らしが改善することはなく、近所の在日の方から残り物の豚足をもらって空腹をしのぐ生活でした。

遊ぶお金もなく、もらった銭湯代でスペースインベーダーをやり、学校のプールに忍び込んで体を洗っていました。

母親のしつけは厳しく、東山さんは、

ビンタなんて当たり前。いつも靴べらで叩かれた。ある意味トラウマ

と話しています。

東山さんが10歳のとき、欲しいおもちゃがあり、母親の財布からお金をくすね、おもちゃを買ったことがありました。

すぐに母親にバレて、大目玉を食らうと覚悟していたら、

あんたは知能犯だ。このままだと将来、絶対だめになる

と冷静に諭されたと言います。

東山さんはそこで改心し、以降はこれまで以上に母親の手伝いをするようになったのでした。

◆トラック運転手の継父によるDV

東山紀之さんが小学校の時、母親は再婚します。

新しい父親はトラックの運転手で、たくましく太い腕がカッコいい男性でした。[3]

最初は優しかった継父でしたが、やがて「しつけ」と称して、子供たちに手を上げるようになります。

再婚して一年もたつと、継父の酒量は増え、酔っては「この野郎!」と理由もなく殴られるようになりました。

暴力は妹にも容赦なく向けられ、母親も殴られ、泣いていました。

それでも母親は、再生したばかりの家庭がまた破綻するのを防ぎたかったのでしょう。

東山さんを「おまえが悪い」と責めるのでした。

東山さんは、

なぜ母は、大酒飲みばかり好きになるのか

と、母親を恨むようになりました。

東山さんの気分は次第に真っ黒になっていきました。

そして、早く家を出たいという思いがわき起こっていきました。

◆そしてジャニーズへ

東山紀之さんが小学校6年生のとき。

当時、NHK放送センターの理容室に勤務していた母親から音楽番組『レッツゴーヤング』の公開収録のチケットを貰いました。

友人3人とNHKホールへ出かけ、その帰り道、渋谷スクランブル交差点で信号待ちをしていたときに、小柄の男性から声をかけられます。

You、『金八先生』観てる?

たまたま車で通りがかった、ジャニー喜多川(きたがわ)さんでした。[4]

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これをきっかけに、ジャニーズ事務所に入った東山さんは、高校進学と同時に合宿所生活をスタートさせます。

結果として、「家」から逃れることができた東山さん。

しかし、母と妹を残してきたことは、ずっと心に残っていました。

結局、東山さんが25歳の時に、母親は継父と離婚しています。

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