【伊藤蘭】の家族~妻はキャンディーズ・伊藤蘭、長女は女優・趣里…実家の両親と兄弟について

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いとう・らん【伊藤蘭】

1955年〈昭和30年〉1月13日生まれ。

東京都出身の女優、ナレーター、歌手。元キャンディーズのメンバー。

キャンディーズとしての代表作は「微笑がえし 」「春一番 」「やさしい悪魔 」他多数。[1]

❶曽祖父

伊藤貞次(いとう・ていじ)

1878年〈明治11年〉1月17日生まれ、1943年〈昭和18年〉没。

日本の実業家、政治家。第15代広島市長を務めた。[2]

❷曽祖父(祖母方)

奈良村正則(ならむら・まさのり)。

1854年1月15日〈嘉永6年12月17日〉生まれ、没年不明。

日本の武士、弁護士、政治家、会社役員。山形県会議員、山形市会議員、山形弁護士会会長を務めた。[3]

❸祖父

伊藤太郎(いとう・たろう)。

1901年〈明治34年〉生まれ、1956年〈昭和31年〉没。

尋常中学校を卒業後は油絵などを描き暮らしていた。無職で結婚したが、子供が生まれると気持ちを改め法政大学で経済を学び、卒業後は川崎市役所に勤めた。しかし大成功した父・貞次との能力の差を感じて退職し再び絵に没頭していった。

「伊藤蘭」の名付け親であり、自身の画家としての雅号も「伊藤蘭」である。[2]

❹祖母

ハマ。

1904年〈明治37年〉生まれ、没年不明。

奈良村正則の三女、伊藤太郎の妻。[2]

❺父親

伊藤英邦。

1922年〈大正11年〉生まれ、没年不明。

国防理工学園で電波兵器技術錬成所で電波兵器の技術を習得し、戦時中は日本軍において理系技術のスタッフとして働く。[4]

❻母親

八重。

生年不明、2018年〈平成30年〉没。

新潟県新発田市出身で洋裁の技術を身に着けて、函館市でテーラーを開業した内山柏平の娘。八重も洋裁学校に入学したが、まもなく太平洋戦争が勃発し、終戦後は洋裁学校の講師として働く。

そうした中で伊藤英邦と社交ダンスで出会い結婚。伊藤太郎が死去すると多額の相続税が生じ、英邦と八重はそれぞれ働いて家計を支えた。2018年に96歳で亡くなる。[1]

❼兄

伊藤路以(いとう・るい)。

6歳年上。西荻窪で『海南チキンライス 夢飯』を経営。[5]

❽夫

水谷豊(みずたに・ゆたか)。1952年〈昭和27年〉7月14日生まれ。北海道芦別市出身の俳優・歌手・映画監督・実業家。

代表作は「傷だらけの天使」「熱中時代」「相棒」他多数。[6]

❾長女

趣里(しゅり)。1990年〈平成2年〉9月21日生まれ。東京都出身の女優、歌手。トップコート所属。

代表作は「とと姉ちゃん」「リバース」「ブギウギ」他多数。[7]

脚注

  1. Wikipedia 2025年5月6日確認 伊藤蘭
  2. Wikipedia 2025年5月6日確認 伊東貞次
  3. Wikipedia 2025年5月6日確認 奈良村正則
  4. スポニチアネックス 2023年8月25日 伊藤蘭、祖父も“伊藤蘭”だった「初めて聞きました」 のんびり屋の生き方に大笑い「あはははは!」
  5. 食べログ 2025年5月6日確認 海南チキンライス 夢飯
  6. Wikipedia 2025年5月6日確認 水谷豊
  7. Wikipedia 2025年5月6日確認 趣里

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