ロサンゼルス・ドジャースに所属するプロ野球選手、山本由伸さん。
オフシーズンの釣りが生きがいです!
今回は、そんな山本さんを取り巻く『家族』の物語です。
生年月日:1998年〈平成10年〉8月17日
身長体重:178cm/80kg
血液型 :AB型
家族構成:
①実 家…父親、母親、姉
②独立後…独身(未婚)
◆実家・生い立ち
山本由伸さんは、岡山県備前市の出身。
小学校は地元の、備前市立伊部(いんべ)小学校へ通いました。
小1の時から伊部パワフルズで野球を始めています。
2歳年上のチームメイトには、後にオリックスでチームメイトとなる頓宮裕真(とんぐう・ゆうま)さんがいました。
ちなみに裕真さんとは実家が隣同士で、家族ぐるみの付き合い。
趣味の「釣り」は、裕真さんのお父さんの手ほどきを受けていたそうです。
実家が隣同士、オリックス山本&頓宮が備前市大使に https://t.co/HvQsWCTjDg pic.twitter.com/entwfP6BhD
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伊部パワフルズの練習は火、木、土曜と週に3回。
練習試合が入れば日曜も活動がありましたが、必ずある訳でもありません。
厳しくなかったから、純粋に野球を楽しめたと思う
そんな環境でも、小学6年生のときには全国大会に出場しました。
開会式で神宮球場に入ったときは本当に感激しましたね
(先頭が山本さん↓)
オリックス・山本由伸ミニインタビュー 「今はチャンスでもある!」 | 週刊ベースボールONLINE https://t.co/nZP2WX3q04 pic.twitter.com/1qKmbDYLJ0
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中学校は、備前市立備前中学校へ進学。
野球は硬式の東岡山ボーイズに入団しました。
意外にも、入団当初のポジションは内野手で、セカンドが主戦場。
上級生になり、投手を務めることになっても、セカンドとの併用は変わらなかったと言います。
しかも、レギュラーを掴んだのは3年生になってから。
背番号はセカンドを意味する「4」で、背番号「1」の少年との2枚看板でならしていました。
チームとしては2年春と3年春に中四国大会に出場し、3年夏は全国大会にも出場しています。
とは言え、特に「スーパー中学生」という訳でもなかった由伸さん。
中学3年時点で、県内の高校から誘われるようなことはありませんでした。
唯一、声を掛けてくれたのが、都城高校の森松賢容(もりまつ・よしひろ)監督。
由伸さんも、
行きます!
と即答し、宮崎県立都城高等学校へ進学しました。
都城高では、1年夏の選手権宮崎大会に「9番・三塁手」として出場。
1年秋から本格的に投手へ転向すると、2年春に147km/h、2年夏の宮崎県新人野球大会で151km/hを計測しました。
2年秋の宮崎県大会では、宮崎海洋戦で5回参考ながら完全試合を記録します。
3年夏の選手権宮崎大会では、3回戦で宮崎商に敗れ、甲子園出場は叶いませんでした。
「一球の大切さを知った」都城高時代…侍ジャパン・山本投手 28日初戦 : 読売新聞オンライン https://t.co/xQz5AYloEK pic.twitter.com/fwKxJPA0gg
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しかし、
- 九産大九産の梅野雄吾
- 福岡大大濠の浜地真澄
- れいめいの太田龍
- 都城の山本由伸
にて「九州四天王」という評価を受けていた由伸さん。
2016年のNPBドラフト会議で、オリックス・バファローズから4巡目で指名され、プロへの道を歩き始めました。
ドラフト4位入団の“小柄”な右腕「山本由伸」は、なぜ「日本のエース」になれたのか オリックスのスカウトが見抜いた“日の丸を背負える才能” https://t.co/kGfZyyYNCB#デイリー新潮 @dailyshincho
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