MLBのロサンゼルス・ドジャースに所属する、大谷翔平選手。
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今回は、そんな大谷選手を育み、支えてくれた『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
生年月日:1994年〈平成6年〉7月5日
身長体重:193cm/95kg
血液型 :B型
家族構成:
①実 家…父親、母親、兄、姉
②独立後…妻
◆実家・生い立ち
大谷翔平さんは、岩手県水沢市(現在の奥州市)の出身。
小学校は地元の、奥州市立姉体小学校へ通いました。
小学校3年時に水沢リトルリーグで野球を始め、全国大会に出場した経験もあります。
小学校5年生にして、球速110km/hを記録し、また1試合で5回17奪三振の成績を残したこともありました。
当時の捕手は、
恐怖を感じるほど球が速かった
と、語っています。
中学校は、奥州市立水沢南中学校へ進学。
一関リトルシニアに所属し、ここでも全国大会に出場しました。
翔平さんが中学3年の時、菊池雄星(きくち・ゆうせい)投手を擁する花巻東高は、春のセンバツで準優勝、夏の選手権でベスト4進出を果たし、社会現象を巻き起こします。
【あの時】花巻東時代の菊池雄星…東北勢として初の甲子園制覇は届かず : スポーツ報知 https://t.co/NsPKCkqwTo pic.twitter.com/MT4AGVKKgk
— カゲロウ@BaseBall (@Kagerou_BB) March 5, 2023
僕も雄星さんのように尊敬される選手になりたい…
そう考え、自身も花巻東高等学校へ進学しました。
翔平さんはMLB移籍後も、
僕にとって雄星さんは特別な存在
と語っています。
高校では、佐々木洋監督の、
まだ骨が成長段階にある1年夏迄は野手として起用して、ゆっくり成長の階段を昇らせる
という方針により、1年春は「4番・右翼手」で公式戦に出場。
1年秋からはエースを務め、最速147km/hを記録しました。
2年春には最速151km/hを記録し、「みちのくのダルビッシュ」と注目を集めるようになります。
2年夏の甲子園大会初戦・帝京高校戦では骨端線損傷により、右翼手として先発出場。
4回途中から登板し、田中将大(たなか・まさひろ)投手に並ぶ甲子園での高校2年生最速タイ記録(当時)となる、150km/hを記録しました。
2005年、決勝で京都外大西を破って夏の甲子園2連覇を達成し、ガッツポーズする駒大苫小牧の田中将大=藤脇正真撮影(26/26):朝日新聞デジタル https://t.co/nFqIb7JbkF pic.twitter.com/qTFrGiZu4O
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3年春のセンバツ甲子園大会初戦・大阪桐蔭高校戦では、5回まで2安打無失点5奪三振の好投を見せます。
相手エースの藤浪晋太郎(ふじなみ・しんたろう)投手から本塁打も放ちましたが、最終的に8回2/3を11奪三振11四死球の9失点(自責5)で敗退しました。
<センバツ名試合:藤浪 VS 大谷!>まさか1回戦で当たるとは 初日から150キロ対決に沸く | エンタメMBS | MBSコラム https://t.co/IwwQ80OnYj pic.twitter.com/5VsfCngiKf
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3年夏の地区予選では、準決勝・一関学院高校戦で、アマチュア野球史上初となる160km/hを記録。
しかし決勝の盛岡大学附属高校戦では、15奪三振と力投するも5失点を喫し、高校最後の全国選手権大会出場はなりませんでした。
プロ野球ドラフト会議前にはNPBだけでなくMLB球団からも注目されます。
本人は当初、
(MLBかNPBかは)五分五分
と語っていましたが、
- ロサンゼルス・ドジャース
- テキサス・レンジャーズ
- ボストン・レッドソックス
との面談を経て、MLBへの挑戦を表明。
会見では、
日本のプロよりもメジャーリーグへの憧れが強く、マイナーからのスタートを覚悟の上でメジャーリーグに挑戦したい
と語りました。
しかし、北海道日本ハムファイターズGMの山田正雄氏が大谷さんをドラフト会議で1位指名することを公表。
日本ハム監督(当時)の栗山英樹(くりやま・ひでき)さんも、
大谷君には本当に申し訳無いけれど、指名をさせていただきます
と話していました。
実際に、ドラフト会議ではファイターズが大谷さんを1巡目で単独指名し、交渉権を獲得。
指名後の会見で大谷さんは、
びっくりしたし動揺もした。評価して頂いたのは有り難いが、アメリカでやりたいという気持ちは変わらない
と語り、指名挨拶のため日本ハムから訪問を受けた際にも面会しませんでした。
しかしその後、2度目の訪問で指名挨拶を受け、両親を交えた入団交渉も4度にわたって行い、3度目の入団交渉からは栗山監督も同席します。
交渉では『大谷翔平君 夢への道しるべ〜日本スポーツにおける若年期海外進出の考察〜』と題された30ページに及ぶ資料が提示され、
- 高校卒業後、直接アメリカへ渡った韓国の野球選手がMLBで活躍しているケースが少ない点
- 過酷なマイナーリーグの現状
- 母国のプロリーグで実力をつけた選手の方が MLBで活躍できる確率が高い点
などが説明されました。
更に日ハムは、前年までダルビッシュ有投手が着用していた背番号11、投手と打者の「二刀流」育成プランなどを提示。
結果的に大谷さんは、日本ハムへの入団を表明したのでした。
ダルビッシュと大谷翔平、明かされる9年前の真実 ダルの「何年後かにメジャーで待ってるわ」に、花巻東高生・大谷の返信は:中日スポーツ・東京中日スポーツ https://t.co/rA2ASnyZzp pic.twitter.com/53y2oct7b0
— カゲロウ@BaseBall (@Kagerou_BB) March 5, 2023
コメント
大谷投手は23歳
兄と姉がいる末っ子
兄と姉は既婚者だろうか
コメントありがとうございます。
お兄さんは30近いので、結婚されているかもしれません。
お姉さんはお兄さんより5歳年下。
綺麗な方なので、男性が放っておかないでしょう!
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