関ジャニ∞の最年長で、メンバーのお兄ちゃん的存在、横山裕(よこやまゆう)さん。
今回は、そんな横山さんを取り巻く『家族』の物語です。
◆実家は大阪市此花区
横山裕さんの実家は、大阪市此花区。
横山さんは、地元の小学校を卒業後、大阪市立此花中学校に進学しました。
この頃からバスケットボールが得意で、中学時代には大阪選抜に選ばれたことがあるそうです。
中学3年生の時、同い年くらいのジャニーズJr.がテレビに出ているのを見たお母さんが、
うちの子も入れるんちゃうか?
と、履歴書をジャニーズ事務所に送り、ジャニーズとしてデビューしました。
高校には行きませんでしたが、2015年にはテレビ番組の企画で、「高等学校卒業程度認定試験」を受験し、合格しています。
◆実の父親
横山裕さんの両親は、横山さんが幼い時に離婚。
横山少年はお母さんに引きとられたため、実の父親とは疎遠になっています。
◆義理の父親
横山裕さんのお母さんは、横山さんが4歳の時に再婚。
しかし、横山少年は新しい父親になじめず、祖父母のところに預けられました。
お母さんと離れて暮らすのは寂しかったと思いますが、祖父母の元で平穏に暮らします。
しかし、中学2年の夏、祖父が心臓を患ったため、義父と母のもとに戻りました。
思春期の横山さんが、義父と上手くやっていくのは一層難しく、父子関係はあまりよくなかったようです。
◆青森公演の日、スーパーで倒れた母親の死因は…?
横山裕さんのお母さんの名前は、ミナコさん。
母・ミナコさんは、横山さんが16歳の時に(17歳とする記事もあり)、義父と2度目の離婚をしました。
おそらく、義父と横山さんの関係が悪かったのも原因だったのでしょう。
それからは、また平穏な生活が戻り、
ミナコってホントバカなんですよ~
家ですっぽんぽんで出てきたりね。おっきいパンツはいてても、ミナコがはくとTバックになる
と、お母さんに関する明るいエピソードを語っています。
2010年、横山さんはソロとしては初めて、全国ツアーを経験。
大阪城ホールでの公演にはお母さんもかけつけ、1万人以上のファンに囲まれる息子を見て、とても喜んでいたそうです。
しかし、その約一週間後の5月16日、ちょうど青森公演の日に、お母さんはスーパーマーケットで倒れます。
すぐに救急車で搬送されましたが、病院に到着した時にはすでに心臓が停止していました。
死因は「虚血性心疾患」。
50歳、若すぎる突然の旅立ちでした。
◆上の弟・勤さんは記憶喪失に…
横山裕さんには、お母さんと新しい父親との間に生まれた弟が2人います。
上の弟(次男)の名前は勤さん。
年齢は、横山さんより6歳年下になります。
次男の勤さんは、葬儀の時は気丈に振る舞っていましたが、一週間ぐらい後に
兄ちゃん、病院の先生が何か、意味わからんこと言ってる
と電話がかかってきます。
周りの人が、おかん死んだって言うてる
その言葉で、横山さんは勤さんの異変に気がつきました。
勤さんは、母の急死にショックを受けて、記憶喪失になってしまったのです。
勤さんには、お母さんが生きていたころの記憶しか残っていませんでした。
しかしその後、何回か横山さんと旅行に出かけるうちに、2年くらいして正常な記憶を取り戻しました。
そんな勤さんは、2016年ごろ結婚します。
僕の中ではずっと弟のままだったのに、結婚式での姿を見たら、いつの間にか一人の男になっていたんだなあと思って…
横山さんは、勤さんからの感謝の手紙で号泣(T_T)
お祝いでトランペットを披露しましたが、泣いて上手く吹けなかったそうです(T_T)
◆下の弟・充さんの職業は税理士
横山裕さんの下の弟の名前は、充さん。
年齢は、横山さんより8歳年下になります。
三男の充さんは、横山さんの援助を得て、大学と専門学校へ進学。
2016年までは東京で一緒に住んでいましたが、現在は税理士になって自立しています。
◆まとめ
お母さんが亡くなった日、横山裕さんは青森市民会館で公演を予定していました。
ステージの直前に突然の訃報を受け、大きなショックを受けたものの、予定通りに出演。
クライマックスでは、母への思いを歌にした自作の「オニギシ」を歌いました。
オニギシが食べたいよ
オニギシしかダメなんだよ
生まれ変わったらまたオニギシを作ってね…
横山さんは途中でファンが見れなくなり、後ろを向くと涙があふれ出しました。
しかし気丈に再び前を向くと、ふりしぼるように最期まで歌い終えました。
まるで、天国に行ったばかりの母に捧げるように…
コメント