元皇族で、伊勢神宮祭主をつとめる、黒田清子さん。
ニックネームは「サーヤ」です!
今回は、そんな清子さんを取り巻く『家族』の物語です。
◆生い立ち
黒田清子さんは、皇居内にある宮内庁病院で生まれました。
学習院幼稚園は2年保育であるため、最初は柿の木坂幼稚園に入園。
年中から学習院幼稚園に転園し、以降は一貫して学習院で学びました。
中・高時代には漫画研究会に所属し、アニメ雑誌「アニメージュ」を定期購読していたと言われています。[1]
アニメだけでなく「鳥」にも造詣が深かった清子さん。
学習院大学文学部を卒業後は、山階鳥類研究所に就職し、非常勤研究助手として働きます。
史上初の「お給料をもらった内親王」となりました
また、平凡社『日本動物大百科』のカワセミの項目は、清子さんが執筆を担当したのだそうです。
◆家族構成
黒田清子さんの皇室時代の家族構成は、お父様、お母様、長兄、次兄、清子さんの5人家族です。
自身は2005年に36歳で結婚しており、夫と義母と暮らしています。
◆夫・黒田慶樹さん
①夫・黒田慶樹さん
黒田清子さんの夫の名前は、黒田慶樹(くろだ・よしき)さん。
1965年〈昭和40年〉4月17日生まれなので、清子さんより4歳年上になります。
慶樹さんは、東京都の出身。
小学校は学習院の初等科に入りますが、ここで親しくなったのが秋篠宮文仁(あきしののみや・ふみひと)さまでした。
その後、学習院の高等科時代は写真部・地理研究会で、大学時代も自然文化研究会で、秋篠宮さまと行動をともにします。
ちなみに自然文化研究会には、のちに秋篠宮妃となる紀子さまも参加していました。
1990年6月、秋篠宮さまと紀子さまが結婚した時は、親しい友人として『学友座談会』に参加しています。
②馴れ初めと結婚
清子さんと慶樹さんは、秋篠宮さまを通じて、幼いころから顔見知りでした。
そして、2003年1月に行われた「さんまの会」で再会。
さんまの会とは、秋篠宮邸で行われていた友人・知人の集まりです
その後、秋篠宮さまが手紙を渡したり、デートの場所を提供したりして、2人の交際を後押しします。
その甲斐あって、再会から1年後の2004年1月には慶樹さんからプロポーズし、お互いに結婚を約束しました。
2005年3月19日に、納采の儀。
2005年11月15日には、帝国ホテル蘭の間にて、結婚式が行われます。
同じく帝国ホテルで行われた披露宴では、石原慎太郎(いしはら・しんたろう)東京都知事(当時)が、乾杯の発声を務めました。
③仕事と年収
黒田慶樹さんは、学習院大学法学部を卒業後、三井銀行(現在の三井住友銀行)に入行。
しかし1996年、31歳の時に銀行を退職し、翌年、東京都庁に入庁しました。
都庁では、
2005年 | 都市整備局市街地建築部建設業課建設業指導係の次席(係長級) |
2010年4月 | 建設局公園緑地部管理課課長補佐 |
2012年4月 | 建設局第五建設事務所の用地課長 |
2013年4月 | 都市整備局市街地整備部担当課長(公益財団法人東京都都市づくり公社総務部総務課長として派遣) |
2015年4月1日 | 港湾局総務部団体調整担当課長 |
2017年4月1日 | 建設局公園緑地部利用促進担当課長 |
2019年4月1日 | 都市整備局都市づくり政策部都市計画課長 |
2021年4月1日 | 都市整備局都市づくり政策部都市計画課長(統括課長) |
というキャリアを積んできました。
東京都庁の課長職は、年収1,000万円に届くとされています。[2]
④家柄…父親の職業は?
黒田慶樹さんの父親の名前は、黒田慶次郎さん。[3]
父・慶次郎さんも、初等科から学習院に学び、学習院大学政経学部を卒業後はトヨタ自動車で勤務しました。
1986年、がんのため、56才の若さで亡くなっています。
慶樹さんの母親の名前は、寿美子さん。
母・寿美子さんは、東京・神田の呉服問屋のひとり娘でした。
慶樹さんは、
いわゆる名家の出身でもなければ、飛びぬけた資産家でもない
と言われています。
しかし、慶樹さんの伯父は旧子爵家出身の女性と結婚。
慶樹さんの伯母も、旧子爵家に嫁いでいるそうなので、
しっかりとした家系
であることは間違いありません。
◆子供
黒田清子さんと慶樹さんの間に、子供はいません。
◆父・明仁上皇陛下
黒田清子さんの父親は、明仁(あきひと)上皇陛下。
1933年〈昭和8年〉12月23日生まれになります。
上皇陛下は、小学校から一貫して学習院に通いました。
意外なことに学習院大学を中退されているので、最終学歴は学習院高等科ということになります。
父・昭和天皇の崩御を受け、1989年1月7日、55歳で第125代天皇に即位。
2019年4月30日で退位するまで、30年にわたり天皇のつとめを果たして来られました。
◆母・上皇后美智子さま
黒田清子さんの母親は、上皇后美智子(みちこ)さま。
1934年〈昭和9年〉10月20日生まれになります。
上皇后美智子さまは、日清製粉グループ創業家である正田家の出身。
雙葉小学校附属幼稚園を経て、雙葉小学校に通いました。
中学からは通学に便利な聖心女子学院へ進学し、聖心女子大学文学部外国語外国文学科を首席で卒業しています。
大学を卒業した年の8月、美智子さまは軽井沢のテニスコートで、上皇陛下と運命的な出会いを果たしました。
出会いから2年後の1959年4月10日にご成婚。
以降、60年余り、上皇陛下を支えてこられました。
◆長兄・徳仁天皇陛下
黒田清子さんの上のお兄さんは、徳仁天皇陛下。
1960年〈昭和35年〉2月23日生まれなので、清子さんより9歳(10学年)年上になります。
天皇陛下は、幼稚園から一貫して学習院に通い、学習院大学大学院人文科学研究科博士前期課程を修了しました。
1993年6月9日に、皇后雅子(まさこ)さまと御結婚。
成婚8年後の2001年12月1日、敬宮愛子(としのみや・あいこ)内親王が誕生しています。
そして2019年5月1日、父・明仁上皇陛下の退位を受け、天皇に即位されました。
◆次兄・秋篠宮文仁親王
黒田清子さんの2番目のお兄さんは、秋篠宮文仁親王。
1965年〈昭和40年〉11月30日生まれなので、清子さんより4歳年上になります。
秋篠宮さまも、幼稚園から一貫して学習院に通いました。
1988年3月、学習院大学法学部政治学科を卒業されています。
1990年6月29日に紀子さまとご結婚。
長女・眞子(まこ)さま。
次女・佳子(かこ)さま。
長男・悠仁(ひさひと)さまと、3人の子宝に恵まれています。
◆まとめ
これまで見てきた通り、黒田清子さんの活躍の陰には、温かく支えてくれた『家族』の姿がありました。
これからも家族の応援を胸に、清子さんの挑戦は続いていきます(^o^)丿
◇脚注
- マイナビニュース 2013年12月6日 嫁へ行くつもりじゃなかった――私の新婚日記
- 週刊新潮 2021年5月6日・13日号 黒田清子さん夫「慶樹さん」が都庁で昇進 「小室圭さんと正反対」との指摘も
- 女性セブン 2021年6月24日号 黒田清子さん 夫の“父親代わり”が急死も叶わなかった最期の別れ
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