日本体操界のレジェンドで、現在は日本協会の副会長を務める、塚原光男さん。
今回は、そんな塚原副会長を取り巻く『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
【本人プロフィール】
名前:塚原光男(つかはら・みつお)
生年月日:1947年12月22日(70歳)※2018年8月
身長/体重:166cm/67kg
◆息子・塚原直也も金メダリスト
塚原光男副会長には息子さんがいて、名前は塚原直也(つかはら・なおや)さん。
1977年6月25日生まれなので、現在(2018年8月)41歳になります。
塚原直也さんが体操を始めたのは、11歳の時。
レジェンドの息子さんにしては、少し遅いですね。
ちなみに、内村航平選手は3歳から、宮川紗江選手は2歳から体操を始めています。
しかし、遅れを取り戻すかのように、明大中野高校時代にインターハイを2連覇すると、NHK杯3連覇、全日本選手権5連覇と、日本体操界のトップに君臨しました。
オリンピックは、アトランタ、シドニー、アテネの3大会に出場。
2004年のアテネオリンピックでは団体総合にて金メダルを獲得し、日本のオリンピック史上初の親子金メダリストに輝きます。
◆息子の国籍はオーストラリア?
2008年の北京オリンピックへの出場を逃した塚原直也さんは、2009年よりオーストラリアに体操留学。
オーストラリア国籍取得を前提に、2012年ロンドンオリンピックへの出場を目指しましたが、国籍取得手続きが間に合いません。
それでも、翌年2013年4月にオーストラリア国籍取得し、2016年のリオデジャネイロオリンピック出場を目指しました。
しかし、オーストラリアの代表選考会で3位に終わり、五輪出場を逃します。
2016年3月、リオ五輪の開催を待たずに、現役を引退しています。
◆嫁・塚原千恵子も体操選手
塚原光男副会長のお嫁さんの名前は、塚原千恵子(つかはら・ちえこ)さん。
1947年8月12日生まれなので、塚原副会長と同い年ということになります。
お嫁さんは長崎県出身の元体操選手で、長崎県立長崎西高等学校から日本体育大学へ進学。
日体大時代の1967年に、全日本学生体操競技選手権大会で個人総合優勝を果たしています。
お嫁さんは、1968年のメキシコシティーオリンピックに出場。
家族全員がオリンピックに出場しているというのも、他に例がないのではないかと思います。
◆お嫁さんを襲ったボイコット事件
塚原千恵子さんは、1972年に現役を引退して、塚原光男副会長と結婚。
以降は、指導者として後進の指導に当たるとともに、体操協会の要職も歴任しました。
しかし1991年、事件が起こります。
同年の全日本体操選手権で、塚原千恵子氏を中心とする審判団の採点法に不満が爆発し、出場選手中91人中55人が大会をボイコットしたのです。
この責任をとって、当時強化部長だった塚原千恵子氏は辞任。
一時期、要職を外れていたお嫁さんでしたが、現在は日本協会の強化本部長に復活しています。
◆まとめ
これまで見てきたとおり、塚原光男副会長の活躍の陰には、温かく支えてくれた『家族』の姿がありました。
これからも家族の応援を胸に、塚原副会長の挑戦は続いていきます(^o^)丿
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