YES高須クリニック!
でおなじみ、高須クリニックの院長として有名な、高須克弥さん。
今回は、高須院長を取り巻く『家族』の物語です。
生年月日:1945年〈昭和20年〉1月22日
出身大学:昭和大学医学部
出 身:愛知県西尾市
家族構成:妻、長男、次男、三男
◆実家は3代続く医師の家系
高須先生が院長をつとめる高須クリニックは有名ですが、実家は1911年(明治44年)から続く高須病院です。
現在は医療法人社団福祉会高須病院という名前で地元の愛知県西尾市一色町で診療を続けています。
開業したのは、当時日本で40人たらずだった女医で、祖母にあたる高須いまさんでした。
いまさんが婿養子をとり生まれたのが、後に産婦人科医となる、高須登代子さん。
さらに登代子さんが内科医の省吾さんを婿養子にとり、生まれたのが高須克弥さんでした。
高須先生は高須家にとって、100年ぶりに誕生した男子だったのです。
◆妻との馴れ初めは?
高須克弥さんの奥様の名前は、高須シズさん。
1944年12月15日生まれなので、高須先生と約1ケ月違いの同学年になります。
妻・シズさんとの馴れ初めは、昭和大学医学部で隣の席だったこと。
シズさんは昭和大学病院産婦人科を経て、高須先生と1974年に創設した高須クリニックグループの実質経営者として活動しました。
学界活動にも意欲的で、3人の息子を含め多くの美容外科医師を指導しました。
2010年3月29日、転移性肺癌により、65歳で亡くなっています。
◆事実婚の妻
①事実婚の妻
高須克弥院長の現在の妻は、西原理恵子(さいばら・りえこ)さん。
1964年〈昭和39年〉11月1日生まれなので、高須院長より20歳年下になります。
西原理恵子さんは漫画家で『毎日かあさん』などのヒット作で有名ですね。
自由奔放な性格で、高校時代には飲酒により退学処分。
漫画家デビュー後は、パチンコや麻雀に熱中し、10年間の損失金額は約5000万円におよびました。
②西原理恵子さんとの馴れ初め
そんな西原理恵子さんと、高須克弥院長との馴れ初めはなんだったのでしょう?
実は理恵子さんが週刊誌のエッセイに、
《高須クリニックのCMのなんと下品なことか。でも好きだ。あなたのお友達になってやってもいい》
と書いたことでした。
その記事を読んだ高須さんが理恵子さんにファンレターを送り、交流が開始。
当時は互いに結婚していましたが、その後理恵子さんは、アルコール依存症の夫と離婚します。
しかし元夫がガンになると、高須院長のアドバイスを受けて同居を再開し、元夫の最期を看取りました。
その3年後の2010年、高須院長の妻も他界。
共に独身になった2人の関係は、「信頼できる友達」から「恋人」へと変わっていったのでした。
③西原理恵子さんと籍を入れない理由
高須克弥院長と西原理恵子さんは、現在でも籍を入れず、事実婚の状態です。
どうして籍を入れないのでしょうか?
女性セブンの取材で、理恵子さんは入籍しない理由を話しています。
“結婚って保険制度でしょう? 家族が病気になったとき、子供のこととか家のローンとかを片方だけで全部育て上げるという。私はもう、全部自分だけで回っているから、なんでこんな人の家のお墓のことまで(笑)”
高須院長もこたえます。
お金は全部使い切って死にたい。西原に? あげませんよ。彼女はお金もあるし立派な家もある。そりゃ貧乏な妻だったら遺しますけど、ぼくの方が粗末な家に住んでますよ。何を遺してやる必要がある(笑)
たしかに、金銭的な意味以外に、籍を入れる必要はないのかもしれません。
そして高須院長は、
遺された人たちが遺産でもめ、理恵子さんが矢面に立たないように…
ということも考えているのでしょう。
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