精神科医として、幅広く活躍する、香山リカさん。
今回は、そんな香山さんを取り巻く『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
◆実は結婚してる…夫との馴れ初めは?
香山リカさんは、実は結婚しています。
夫の名前は、斎藤文彦(さいとう・ふみひこ)さん。
1962年1月1日生まれなので、香山さんより1学年下になります。
斎藤さんの職業はスポーツライターですが、専門分野はプロレスです。
初の単行本の名前は『いとしのプロレスinアメリカ』で、ゲームソフト『スーパーファイヤープロレスリングSPECIAL』のストーリーモードも監修しています。
2人の馴れ初めははっきりしませんが、プロレスが2人を結びつけたのは想像に難くありません。
そう、香山さんも大のプロレスファンで、幼少期は札幌の中島スポーツセンターに、父と弟とプロレス観戦に出かけていました。
特にジャイアント馬場さんを崇拝しており、NHK教育テレビ『知るを楽しむ(私のこだわり人物伝)』では、4週にわたりジャイアント馬場さんについて語ったこともあります。
◆子供はいるのか?
香山リカさんと斎藤文彦さんの間に、子供はいません。
実は2人は事実婚関係であり、その辺の事情が関係しているのかもしれません。
◆実家は小樽の産婦人科
香山リカさんは、北海道札幌市の生まれ。
その後、実家は小樽市へ転居し『中塚産婦人科』という医院を開業していました。
ちなみに香山さんの本名は、中塚尚子さん。
「香山リカ」というペンネームは、リカちゃん人形の本名「香山リカ」に由来しているのだそうです。
◆父親の職業は産婦人科医
①父親の職業は?
香山リカさんの父親の名前は、中塚好勝さん。
父・好勝さんは釧路市出身で、北海道大学を出て産婦人科医となりました。
しかし、香山さんが医師になることは望んでおらず、
自分ができなかった海外で活躍するような職業に就いてほしい
とよく言っていたそうです。
香山さんがピアノを習っていた小学生のころは、
音楽大学に行ってもいいんだぞ
と話していました。
そして、香山さんが東京医科大学に合格したときは、むしろ、がっかりしていたそうです(^_^;)
②父親の旅立ち
香山リカさんの父・好勝さんは、60代後半になって病気をしたので、産婦人科医の仕事の量を減らしました。
晩年は、香山さんと一緒にアメリカやイギリス、国内各地を一緒に旅行をしました。
そして2010年11月、父・好勝さんは慢性腎不全が悪化して、回復の見込みが立たなくなります。
好勝さんは最期の瞬間を、自宅の愛用ベッドで迎えました。
薬の投与はなく、酸素吸入だけです。
苦しむこともなく、穏やかに流れる時間を家族で共有しました。
お母さんはいつものように家事をこなしていました。
そんな日常の営みの中で、父・好勝さんは静かに呼吸を止めました。
享年82歳でした。
◆母親の前では…
香山リカさんの母親は専業主婦で、良妻賢母になる教育を受けた年代の方。
しかし香山さんに対しては「女性らしくしなさい」みたいなことを一切言いませんでした。
大学に行って、いい仕事に就いてほしい
と思っていたようで、しっかり勉強するように言われて育ちました。
香山さんはお母さんとも2人で旅行していますが、そんな時、お母さんは粗忽(そこつ)な子供として接します。
香山さんはお母さんの前では、いつまでも“子供”でいられるのですね。
◆弟はアクティブな歯科医師
香山リカさんには弟がいて、名前は中塚圭骸(なかつか・けいがい)さん。
1965年7月28日生まれなので、香山さんより5歳年下になります。
弟の圭骸さんは、北海道医療大学の歯学部出身で、職業は歯科医師です。
同時に、エッセイストやミュージシャンとしても活動していて、1980年代文化への愛と造詣が深く、「ミスター80年代」を自称しています。
◆まとめ
香山リカさんが父親を看取った際、死亡確認をしたのは医師である香山さんでした。
呼吸や脈、瞳孔などを確認していると、弟の圭骸さんが
(医療ドラマの)ERみたいだ
と冗談を言い、家族で笑い合ったそうです。
お父さんも安心して天国への階段を上がっていったことでしょう。
これからも家族の応援を胸に、香山さんの挑戦は続いていきます(^o^)丿
この方は高校の同級生だそうです
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