女子空手で東京オリンピック代表の植草歩さん。
空手界のきゃりーぱみゅぱみゅと呼ばれてます
今回は、そんな植草さんを取り巻く『家族』の物語です。
◆実家は八街
植草歩さんは、千葉県八街(やちまた)市の出身。
小学校は地元の八街市立実住(みすみ)小学校に通いました。[2]
小学校3年生で空手を始めた植草さん。
この頃は空手だけでなく、水泳、陸上、ピアノの教室にも通っていました。
当時は水泳の北島康介さんに憧れていたそうです
そんな中で、空手は趣味の一つにすぎませんでした。
しかし、小学生の全国大会で全国3位になれたことがきっかけで、段々引き込まれていきます。
中学校は、八街市立八街中央中学校に進学。[2]
中学校でも全国大会でベスト16に入り、スポーツ推薦で柏日体高等学校(現日体大柏高等学校)に入学しました。
柏日体(現日体大柏)は実家から離れていたため、学校近くにアパートを借り、同学年の生徒と共同生活となります。
高校3年次にはインターハイで3位に入り、直後の国体で初の頂点に立った植草さん。
空手の名門である帝京大学からスカウトされ、舞台は日本から世界へと広がっていきました。
◆家族構成
植草歩さんの家族構成は、両親と姉の4人家族です。
それでは、お父さんから見ていきましょう。
◆設計士の父
①設計士の父親
植草歩さんの父親の名前は、植草政國さん。[3]
生年は、1957年ごろになります。
父・政國さんの職業は設計士で、空手の経験はありません。
小学生の植草さんが空手を始める時、政國さんは、
やりたいと言うのなら、やめさせないよ
と、覚悟を求めました。
何事も器用にこなしながら、一方で飽きっぽい一面もある娘にくぎを刺したのです。
②父の献身のサポート
やがて空手が上達した植草さんは、実家のある千葉県八街市から、上級者の集まる千葉県匝瑳(そうさ)市の道場まで週に2~3日通いました。
練習は活気に満ちて深夜近くまで及ぶこともありましたが、眠い目をこすりながら、お父さんは毎回のように車で娘を迎えに行きました。
植草さんが高校からアパート暮らしを始めると、毎週週末に大量の差し入れの食料を抱えてアパートを訪れ、励ましました。
植草さんは、
自分だったらここまでできない。今の自分になれたのはお父さんのお陰
と、とても感謝しています。
実は、父・政國さんは、3歳で実父を亡くし、母子家庭で育っています。
政國さんは母親を助けるため、朝夕に新聞配達のアルバイトをして学費に充てています。
自分は若い時に夢中になることをできなかった。その分、娘が空手に熱中しているのを見るのが楽しかった
政國さんは、植草さんをサポートする事で、自分の時間を取り戻してもいるのでした。
◆格闘家系の母親
植草歩さんの母親の名前は、植草貴美子さん。
実は、母・貴美子さんの家系には、格闘技の選手が多かったのだとか。[4]
貴美子さん空手の才能は、お母さんから受け継いだものなんですね!
ちなみに貴美子さん自身は、文化系の方だそうです。
◆一つ違いの姉
植草歩さんには、一つ違いのお姉さんがいます。[5]
お姉さんは2016年5月31日に結婚されましたが、この日は東日本実業団選手権と重なり、結婚式には出れませんでした。
しかし、この日のブログには、
お祝いに駆けつけることはできませんでしたが…お姉ちゃんのお祝いの日に私も勝つことができ良い1日になれたかなと思います。
と綴り、姉の門出に勝負師らしい花を添えています。
◆まとめ
これまで見てきた通り、植草歩さんの活躍の陰には、温かく支えてくれた『家族』の姿がありました。
これからも家族の応援を胸に、植草さんの挑戦は続いていきます(^o^)丿
◇脚注
- exciteニュース 2021年3月9日 植草歩のプロフィール
- 八街市教育センター 2020年4月30日 植草歩選手からメッセージが届きました。
- 毎日新聞 2019年5月28日 空手で金メダル狙う植草 苦労人の父との絆
- 現代ビジネス 2017年10月28日 「もう辞めたい…」空手世界ランク1位・植草歩、屈辱と挫折の歴史 心も体力も技術もすべて足りなかった
- 植草歩オフィシャルブログ 2016年5月31日 東日本実業団
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