歌舞伎役者で、ドラマでも活躍する片岡愛之助さんが注目を集めています。
今回は、そんな愛之助さんを育み、支えてくれた『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
◆実家・父親の職業は?
片岡愛之助さんのお父さんの名前は、山元利光さん。
実家は大阪の堺にあり、祖父が船のプロペラを作っている会社を興し、父・利光さんはその会社を継いでいました。
家と工場は同じ敷地内にあり、ダンプカーの出入りが激しく、子供が外で遊びにくい環境。
それを心配した父・利光さんは、子供同士の触れ合いのためにと、愛之助さんを松竹芸能のタレント養成所に行かせることにします。
その内、歌舞伎の子役が回ってくるようになりますが、子役といえど、歌舞伎はひと月興行。
1カ月は学校を休む必要があり、しばらく続けていると勉強に支障が出てきました。
別に「役者になろう!」と思っていた訳ではないので、親子で話し合い、子役を辞めることにします。
しかし、後に父となる片岡秀太郎さんに誘われ、両親と自宅に伺ったところ、秀太郎さんは両親にこう問いかけました。
この子、役者にしないんですか?
もともと、父・利光さんは、好きで会社を継いだわけではなかったので、愛之助さんには好きなことをさせたかったようです。
やりたかったらやりなさい
こうして、歌舞伎役者・片岡愛之助が誕生するきっかけが生まれたのでした。
2000年10月、父・利光さんは、愛之助さんが28歳の時、くも膜下出血で他界しています。
家業のプロペラ工場は閉鎖しましたが、誰も住んでいない実家は、現在もきれいに残してあるそうです。
◆母親の名前は?
片岡愛之助さんのお母さんの名前は、山元操子さん。
母・操子さんは、愛之助さんの子役としての活動を応援してくれますが、高校卒業間近になると息子の進路に悩みます。
寛之(愛之助さんの本名)の役者としての才能は?才能があっても門閥中心の世界で何処までやれるのか?本人の将来のため大学へ進学させるべきか?
操子さんは、息子をこの世界に入れた片岡秀太郎さんに、秘かに相談しました。
当時、子供がいなかった秀太郎さんは、こう考えます。
あの子に賭けてみたい。養子として迎え入れ、跡取りとしたい…
操子さんは、本音を言えば、かわいい息子を手放したくはなかったでしょう。
しかし、「やりたいことをやりなさい」と、愛之助さん自身に選ばせ、名実ともに「片岡愛之助」が誕生することになります。
愛之助さん、19歳の時でした。
1999年、愛之助さんが27歳の時、母・操子さんは末期がんで帰らぬ人となっています。
◆養父・片岡秀太郎
片岡愛之助さんの養父の名前は、片岡秀太郎(ひでたろう)さん。
1941年9月13日生まれで、74歳になりますが、現在もご健在。
両親が他界した愛之助さんにとって、戸籍上も実質上も頼れる父親となっています。
愛之助さんの結婚に際しては、ブログに息子と紀香さんにはさまれる形での親子3ショット写真を掲載。
愛之助が本日、藤原紀香さんと入籍致しました。記者会見をさせて頂くので詳しいご報告は控えますが、今後とも宜しくお願い致します!
とシンプルにつづり、愛息が身を固めたことを喜びました。
◆妹は長野在住?
片岡愛之助さんには妹が一人いて、名前は泉さん。
幼い頃、外で遊べなかった愛之助さんは、いつも泉さんと家の中で遊んでいたそうです。
当時、一緒に遊んでいた超合金のおもちゃを、現在も宝物として取っとあるということで、お兄さん思いの妹さんですね。
子役として活動する関係で、お母さんは愛之助さんに構いっきりになりますが、泉さんは兄のために我慢してくれたのだそうです。
現在、妹・泉さんは結婚して、長野県の松本に住んでいます。
◆子供の学校は?
2011年、片岡愛之助さんに隠し子報道がありました。
女性週刊誌『女性セブン』で、元ホステスとの間に小学校5年生の男児(当時)の隠し子がいると報じられたのです。
愛之助さんは会見を開き、「おおむね事実でございます」と認め、養育費など生活の援助は続けているが認知していないことを明かしました。
それから5年経過し、子供さんは高校生になる年齢です。
学校は、愛之助さんと同じ「大阪府立信太高等学校」という噂がありますが、京都在住とも言われており、はっきりしません。
子供を認知するかどうかについて、愛之助さんは当時、こう語りました。
子どもがもう少し大きくなって本人の意見を聞きたい
◆藤原紀香と結婚!
2016年3月30日、片岡愛之助さんは、かねて交際していた女優・藤原紀香さんとの結婚を発表しました。
2人の交際がスタートしたのは2015年8月。
愛之助さんが、熊切あさ美さんと完全に破局を迎えたのち、紀香さんのもとへ騒動の謝罪に訪れたことがきっかけで急接近。
8月末には、双方のブログで交際宣言をしていました。
紀香さんは今後も女優業を続けますが、仕事の合間を見ながら「梨園の妻」として愛之助を支えていきます。
◆まとめ
お母さんが亡くなったとき、お父さんは愛之助さんにこう話しました。
人間は死んだらおしまい。自分の人生は自分のもの。納得のいく人生を送りなさい
その1年後、お父さんも骨壺に入ってしまったとき、愛之助さんは思いました。
人生はここ(骨壺)に入るまでの修行だ
愛之助さんの人生の修業は、これからも続いて行きます!
コメント