2021年3月24日、俳優の田中邦衛さんが、老衰のため亡くなりました。
今回は、生前の邦衛さんを支えた『家族』をご紹介し、在りし日の故人を偲びたいと思います。
◆実家は陶器窯元
田中邦衛さんは、岐阜県土岐郡土岐津町(現・土岐市)の出身。
実家は地元で約150年続く、陶器窯元の『菊泉窯』です。[1]
邦衛さんは、麗澤(れいたく)短期大学を卒業後、実家を手伝いながら中学校の臨時教員をしていました。
1955年、3度目の受験で俳優座の養成所試験に合格し、俳優への道を歩き始めます。
役者で食えない時代は、実家の焼き物を売り歩いて、生活費に充てていたそうです。
◆家族構成
田中邦衛さんの家族構成は、妻との間に娘が2人います。
実家は両親と7人兄弟の9人家族だそうです。[2]
◆父親
田中邦衛さんが幼いときは、とにかくやんちゃな子供で、いたずらばかりしていました。[2]
お父さんはしつけのため、邦衛少年を蔵の中に入れたり、長いすに縛りつけたりしていたそうです。
中学1年ではタバコが見つかり、学校に呼び出されたお父さん。
わが子の行く末を案じ、高校は道徳教育を重んじる全寮制の麗沢高等学校に進学させました。
鑑別所のような暮らしに最初はなじめず、
あと何日したら家に帰れるか…
と、そればっかり考えていたそうです。
◆7人兄弟の4番目
田中邦衛さんは、7人兄弟の4番目で次男に当たります。
お兄さんの名前は、田中源也さん。[3]
1924年(大正13年)生まれなので、邦衛さんより8歳年上になります。
兄・源也さんは、岐阜県立多治見工業高等学校、東亜外事専門学校を卒業。
50歳近くから陶芸を始めましたが、公募展には出品せず、独自に活動しました。
現在、実家の窯元は、源也さんの息子である田中源彦さんが継承しています。
◆妻は劇団同期の妹
田中邦衛さんの奥様の名前は、田中康子さん。[4]
まだ、邦衛さんが無名のころ、俳優座の同期女性の家で夕飯をご馳走になったことがあります。
その時、家にいたのが、同期女性の妹にあたる康子さんでした。
康子さんの第一印象は、
よそよそしい女の子って感じだったな
と話す邦衛さん。
しかし、ミシンを踏んだり、夕方の買い物に出かけたりする姿を見て、
いいなあって思った💛
という邦衛さんは、決死の覚悟でプロポーズをし、OKをもらいました。
それ以来、康子さんの家にせっせと通い、結婚2か月前からは、康子さんの実家に住みついてしまいました。
結婚後も奥さんの実家に住み続けたそうです。
◆娘が2人
田中邦衛さんには、2人の娘がいます。
①長女はNHKの田中淳子氏
長女の名前は、田中淳子(たなか・じゅんこ)さん。[5]
1964年7月15日、東京で生まれました。
高校時代はアメリカのワシントン州に1年間留学。
上智大学外国語学部に在学中には、ジョージタウン大学国際関係学部に第一期の交換留学生として留学しました。
大学卒業後の1988年に、NHKに入局。
2006年にはNHK初の女性海外支局長として、シドニーに派遣され、その後、女性初のワシントン支局長をつとめました。
【#ちなミニ】
ちなみに #田中邦衛 さんの長女は、NHK元ワシントン支局長で国際報道2016でキャスターを務めていた田中淳子さん。現在はNHKの広報局長の重職を務めています。 pic.twitter.com/SDiFeVgFOz— Ken Sugar🌏 (@ken_sugar) April 2, 2021
②次女
次女の名前は、千恵子さん。
千恵子さんは一般の方で、メディアに登場することはありません。
ただ、邦衛さんの生前、老人ホームに入居していたときは、康子さんと一緒に足しげく通っていたそうです。[6]
◆まとめ
これまで見てきた通り、田中邦衛さんの活躍の陰には、温かく支えてくれた『家族』の姿がありました。
これからは空の上から、家族の幸せを見守ってくれることでしょう。
ご冥福をお祈り申し上げます。
◇脚注
- 毎日新聞 2018年5月25日 清流悠遊:永遠のマドンナ「澄ちゃん」 /岐阜 | 毎日新聞
- 婦人と暮し 1980.11月号 田中邦衛 照れ屋“青大将”はすばらしい人
- 中部の陶芸作家辞典 2021年4月2日確認 田中源也
- スポーツ報知 2021年4月2日 俳優の田中邦衛さんが死去 88歳 老衰で
- デイリースポーツ 2012年11月9日 大統領選のNHK記者は田中邦衛の長女
- 週刊ポスト 2015年10月16日 田中邦衛 「老人ホーム入居」で妻・娘と歩む「復帰への道」
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