令和の犯罪史に残る事件を起こした、山上徹也容疑者。
今回は、そんな山上容疑者を取り巻く『家族』の物語です。
生年月日:1980年
出身地 :奈良県奈良市
最終学歴:専門学校
家族構成:父親(死去)、母親、兄(死去)、妹
◆実家・生い立ち
山上徹也容疑者は、大阪府東大阪市で生まれ、奈良県奈良市で育ちました。[1]
幼少期は、奈良市内にある母方の実家で暮らしています。
母方の実家は、近鉄・大和西大寺駅から車でおよそ20分の距離にある、閑静な住宅街にありました。
100坪はゆうにある広い敷地に、情緒ある和風の邸宅だったそうです。
山上容疑者は、中学時代までをこの場所で過ごしました。
中学校時代は、バスケットボール部に所属。
勉強ができるおとなしめの優等生
という印象で、3年生の時にはレギュラーとして活躍していました。
高校は、奈良県屈指の進学校である、奈良県立郡山高等学校へ進学。
応援団に入り、甲子園大会での応援をつとめるなど活躍しましたが、影の薄い存在でした。
高校の卒業アルバムには、自分の将来について「分からん。」と記されていたそうです。
経済的な理由で大学進学は断念し、専門学校へ通いました。[6]
2002年8月に任期制自衛官として海上自衛隊に採用され、佐世保教育隊へ入隊。[2]
2002年12月に「まつゆき」へ配属となると大砲や誘導ミサイルなどを扱う砲雷科で見習いとして勤務しました。
2004年4月、広島・江田島の第一術科学校に所属する練習船へ配属。
2005年8月、海士長の階級で退官しています。
◆早世した父親
山上徹也容疑者の父親は、トップクラスの進学校である、大阪府立天王寺高等学校の出身です。[7]
卒業後、京都大学工学部に進学し、土木を専攻。
大学を1970年に卒業すると、大手建設関連会社などに勤め、大阪や千葉などを転々としながら、70年代末に奈良に本社を置く建設会社に入社しました。
それと前後し、建設会社の社長の娘と結婚。
この女性が、山上容疑者の母親です。
父親は入社後、ヒラ社員から工事部長を経て、最終的に取締役にまで出世しました。
仕事ぶりは真面目でしたが、酒癖は悪く、酔っぱらって路上で寝ている姿がしばしば見かけられたと言います。
そして、山上容疑者が5歳の頃に自殺。
近くの12階建てのマンションから飛び降りたのでした。
このため、残された一家は、奈良市内の母親の実家に身を寄せています。
◆破産した母親
山上徹也容疑者の母親は「スラっとした気品のあるお嬢さん」というイメージの物静かな方です。[3]
夫からはDVを受けており、母親を怒鳴り散らす声が鳴り響くのが近所でも有名でした。
当時の住民は、
父親が怒鳴っている間、母親がずっと台所で正座させられていたのを見たことがある。
と話しています。
そんな母親がすがったのは、宗教でした。
後に母親は統一教会にのめり込み、1億円もの資産をつぎ込み、結果として破産してしまいました。
このことから、山上容疑者は統一教会に恨みを持つようになります。
しかし、その矛先はいつしか、統一教会と関係が深い(と思い込んでいた)安倍晋三さんへ向かっていったのです。
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