芸能界オネエ枠の大御所、マツコ・デラックスさん。
中森明菜の大ファンです!
今回は、そんなマツコさんを取り巻く『家族』の物語です。
生年月日:1972年〈昭和47年〉10月26日
身 長:183cm
血液型 :A型
出身地 :千葉県千葉市
◆実家・生い立ち
マツコ・デラックスさんは、千葉県千葉市の出身。
小学校は地元の、千葉市立園生(そんのう)小学校へ通いました。[1]
小学校時代は痩せていて、野球をやっていたそうです。
中学校は、千葉市立小中台(こなかだい)中学校へ進学。[2]
この頃からマツコさんはおネエ言葉を使っていましたが、周囲は冗談だと思っていたそうです。
高校は、千葉県立犢橋(こてはし)高等学校へ進学。[3]
高校ではなんと木村拓哉(きむら・たくや)さんと同級生でした。
しかし木村さんは、1年終了時に東京都立代々木高等学校へ転校しており、マツコさんのことは覚えていないのだそうです。
高校卒業後は、東京マックス美容専門学校へ進学。[4]
卒業後は美容業の仕事をしていましたが、
何か違う
と感じ、ゲイ雑誌『Badi』の編集部に転職。
編集者時代の記事を読んだ小説家の中村うさぎさんに、対談集『人生張ってます』のゲストに呼ばれます。
この時、個性的なビジュアルやトークスキルが注目された事が、世に出るきっかけとなりました。
◆父親の職業は?
マツコ・デラックスさんのお父さんは、昭和一桁の九州生まれで、終戦まで満州にいらっしゃいました。
マツコさんとは正反対で、細くて小柄で、特段、特徴のない方だったようです。
お父さんの職業は、建設会社のサラリーマンでしたが、堅実な性格ためか、洗濯機や掃除機が故障しても、修理をして使っていました。
CDやエアコンが家に来たのも、周りの家より5年くらい遅かったため、子どもの頃のマツコさんは、
うちはなんで貧乏なんだろう?
と思っていたそうです。
マツコさんは、両親が年を取ってからできた“一人息子”でしたが、だからと言って過保護に育てられた訳でもありません。
マツコさんが25歳くらいの時、実家で水を飲んでいると、
働かないやつは、水、飲むな!
と父親に怒られたこともあります。
本当は雑誌の編集の仕事をやっていたのですが、“ゲイ雑誌”であったため、お父さんには説明ができていなかったのです。
お父さんは、息子がどうやって生計を立てていくのかが、不安だったのでしょう。
マツコさんはこの時、
分かりやすくお金を稼いで、ちゃんと生きていけるって安心させなきゃ
と考えたのでした。
今では、お父さんに仕送りをしていますが、生活のためではなく、
ちゃんと稼いでるから安心して
と父にアピールするためのものです。
おそらく、お父さんは仕送りを使わず、必要最低限のもので、粛々と暮らしているのでしょう。
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