やしろ・あき【八代亜紀】
本名:橋本明代(はしもと・あきよ)。後に明子に改名。
❶父親
橋本敬光(はしもと・けいみつ)。[1]
絵を愛し、音楽を愛する人物だった。休日には写生に出かけ、亜紀さんは必ずついて行き、自分も絵を描いていた。弁当を食べる時には「よし歌ってやろう」と「酒は涙か 溜息 か」「影を慕いて」といった古賀メロディーを、ギターを弾きながら歌ってくれた。浪曲も得意で、家に友人が来ると、「うなろうか」と披露していた。
普通の会社員だったが、亜紀さんが小学2年生のころに運送会社を起業。会社経営の難しさから生活が困窮するようになり、亜紀さんは「早く大人になって働いて、家計を助けるんだ」と考え、12歳でクラブ歌手を目指し始めた。
中学を卒業後、両親に内緒でキャバレーで歌いはじめるが、3日後に父の友人が来店したことで両親に発覚。「不良になった」と父親に勘当されたため、上京して歌手活動を行った。
1991年2月15日、急性心不全で逝去。享年63歳。
❷母親
橋本タミ子(はしもと・たみこ)。[1]
実家は理髪店。父が20歳、母が19歳の時、「まだ若すぎる」という周囲の反対を押し切って、駆け落ち同然に結婚した。母親には「えこひいきしてはダメ」「陰口を言うな」と言われて育った。
❸兄弟・姉妹
弟がいる。[2]
❹夫
増田登。5歳年下で元マネージャー。1994年結婚、2021年離婚。[3]
❺子供
子宝には恵まれなかった。[4]
脚注
- 読売新聞 2016年5月16日 [時代の証言者]女ごころを歌う 八代亜紀<4>絵と音楽好きは父譲り
- 週刊女性 2024年1月16日 八代亜紀さん「年内には退院して行きます」不倫疑惑で熟年離婚した元夫の裏切りを乗り越えるも、叶わなかった売却した箱根の別荘『八代別邸』への訪問
- 朝日新聞 2015年8月26日 (人生の贈りもの)わたしの半生 歌手・八代亜紀:8 64歳
- 週刊女性 2024年12月30日 「最後まで私が一緒にいるから」八代亜紀さんが50年を“家族”のように過ごした、10歳上の付き人女性の存在
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