NHK出身で、現在はフリーアナウンサーとして活躍する、有働由美子アナウンサー。
今回は、そんな有働アナを育み、支えてくれた『家族』にスポットを当てご紹介します。
生年月日:1969年〈昭和44年〉3月22日
身 長:162cm
血液型 :O型
出身大学:神戸女学院大学
◆厳格な父親
有働由美子アナのお父さんの職業は、鹿児島県にある伊集院中学校の体育教師。[2]
後に脱サラし、鉄鋼関係の下請け企業を経営するため、一家は大阪へ転居します。
有働さんの家庭は「封建主義的な男尊女卑」の家であり、お父さんは、家族に対して厳しい鬼父でした。
お父さんは、お母さんが一緒の食卓につくだけで嫌味を言ったり、娘にもあたりまえのようにビールのお酌をさせたりします。
気に入らないことがあったら、手が出ることもしょっちゅうありました
大阪府立北野高等学校を卒業した有働さん。
この方は北野高校の1学年下になります
弁護士を志し、大阪大学法学部を受験するも、不合格となります(>_<)
1年間の浪人をお父さんに懇願したところ、こんな言葉が返ってきました。
美人なら「いいよ」っていうけど、お前の顔なら、なるべく早く社会に出て相手を見つけないと結婚できない
結局、有働さんは浪人を諦め、神戸女学院大学文学部を経て、NHKに入社したのでした。
厳格なお父さんも高齢になり、大阪で暮らしています。
2011年にお母さんを亡くし、心にポッカリと穴が空いた父のことが、有働アナは心配で仕方ありません。
ほぼ毎週のように、週末は大阪に帰り、掃除や洗濯、食事の世話をし、話し相手になっているそうです。
有働アナは、優しくお父さんに語りかけます。
もう掃除も洗濯も全部、自分でできるようにならなきゃダメだよ…お母さんは、もういないんだから…
◆専業主婦の母親
有働由美子さんのお母さんの名前は、有働比佐子さん。[3]
専業主婦のお母さんは、亭主関白のお父さんの行動にじっと耐え、家族の幸せを一番に考え、何もかも受け入れる人でした。
有働さんは、そんなお母さんを見て「母のようにはなりたくない」と考えていたという事です。
また、有働さんが幼い頃は、祖父母の命で、毎週末、お父さんの実家に家族全員で訪ねていました。
お父さんの実家に着くなり、お母さんは家事に追われて働き続けます。
お正月には近所中の人が集まり、朝から晩まで台所に立ってお酒とおつまみ作り…
お祖母さんは歯に衣(きぬ)着せぬ人だったため、お母さんは一方的にやり込められ、まるでお手伝いさんのように見えていました。
有働アナは、お祖母さんが亡くなって10年以上経った頃、お母さんに、
ぶっちゃけどうだったの?
と聞いてみます。
予想に反して、お母さんは答えました。
おばあちゃんの正直本音トークのおかげで、何をどうしてほしいかはっきりわかって、ストレスはなかった。逆に意見も言えた
ご立派です。
個人的な想像ですが、本当は、かなり苦労されたのではないでしょうか?
しかし、それは結婚前の娘にも告げずに、本当にお墓まで持って行かれたのでしょう。
お母さんは、2011年9月、乳がんなどのため、67歳の若さで旅立たれました。
◆実家に住む妹
有働由美子アナには、妹が1人います。
現在は結婚して、お父さんと一緒に実家に住んでいます。
有働アナは、38歳年下の甥っ子と手をつないだら、
手が荒れている
と言われてショックを受けた事がありました(T_T)
おそらく、妹の息子さんなのでしょうね。
普段はお父さんの世話を、妹が一手に引き受けてくれています。
有働アナがしょっちゅう実家に帰るのは、妹の負担を減らし、愚痴を聞いてあげるためでもあるのです。
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