「イケメン独身男性・最後の砦」として人気を博す、俳優の佐々木蔵之介さん。
今回は、そんな蔵之介さんを育み、支えてくれた『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
◆実家は酒蔵
佐々木蔵之介さんの実家は、洛中に唯一残る京都市の造り酒屋「佐々木酒造」です。
佐々木酒造は、文豪・川端康成氏が愛した日本酒「古都(こと)」を持つなど、歴史と伝統をほこる酒蔵。
一方で、蔵之介さんの出演作品に合わせて、「オードリー」や「ハンチョウ」などの銘柄を販売するなど、柔軟性も見られます。
◆父親とは日野自動車CMで共演
佐々木蔵之介さんのお父さんの名前は、佐々木勝也さん。
昭和8年、佐々木酒造の三代目として生まれ、大学を卒業して50年間、家業を守り続けてきました。
父・勝也さんは厳格な方で、
(会社の)帳簿をつけ終わるまで、夕食を食べさせてもらえなかった…
と、蔵之介さんは昔を思い出します。
蔵之介さんが役者になるのも反対したお父さんでしたが、意外にも蔵之介さんの芸名は、父親による命名。
蔵之介さんは大学1年の時、演劇サークルの先輩から急きょ電話があり、新人公演に使う芸名を決めなければならなくなります。
いきなり訊かれて迷っていたところ、隣で一緒に野球中継を見ていたお父さんが、
家に蔵もあるし、大石内蔵助、蔵之介にせい!
と命名したのでした。
前述のとおり、役者に反対したお父さんでしたが、朝の連続テレビ小説「オードリー」に出演したころに、ようやく認められます。
2011年には、日野自動車のCMで親子共演。
父・勝也さんがCM撮影で見せた演技は、役者になった息子を、父が認めた証しだったのかもしれません。
◆母親は山梨県出身
佐々木蔵之介さんのお母さんは、山梨県の出身。
蔵之介さんの好きな食べ物はブドウですが、これは山梨出身のお母さんの影響です。
実は、蔵之介さんは当初、実家の稼業を継ぐつもりでいました。
それは、お母さんの
佐々木酒蔵を継ぐ選択肢もあるんだよ!
という一言がきっかけとなっていました。
結果として役者の道を選んだ蔵之介さんでしたが、東京の下積み時代、お母さんはウナギを送って応援してくれたそうです。
◆建築家となった兄は東大!
佐々木蔵之介さんには、1歳年上のお兄さんについて、こう話しています。
兄がとても優秀だったので、そこに引け目を感じていたというのがあります…
蔵之介さんは、神戸大を卒業した秀才。
その蔵之介さんが引け目を感じるなんて…と思ったところ、お兄さんは何と東大なのだとか。
そして、おそらく工学系の学部だったのでしょう、
飲んで無くなってしまうものを造るのはいやだ!
と言って、家業を継がず、建築の道に進んでしまったそうです(>_<)
◆実家を継承した弟の大学は?
佐々木蔵之介さんには弟もいて、名前は佐々木晃(あきら)さん。
1970年4月1日生まれなので、蔵之介さんより2歳年下になります。
弟・晃さんは、仏教大学文学部中国文学科を卒業し、関西日立株式会社で営業の仕事をやっていましたが、25歳で佐々木酒造に入ります。
そのうち兄が諦めて戻ってくると思い、自分は留守番のつもりで家業に就きました。
しかし、晃さんが入社した当時は、昭和40年代後半から続く日本酒の消費量低迷期。
次々に酒蔵が廃業していく中で、佐々木酒造も安泰ではありません。
そこで晃さんは販路を拡大するため、前職の経験を生かして営業に走り回り、佐々木酒造の名前は全国区に。
現在は代表取締役社長に就任し、日本酒講座やイベントを通じて新たな日本酒ファンを増やすことに務めています。
◆まとめ
2016年10月10日、佐々木蔵之介さんの最愛の父・勝也さんが、胃がんのため亡くなりました。
勝也さんは生前、弟・晃さんにこう語ったそうです。
わしは50年、酒造り一筋でやってきた。でも、おまえは好きなことしていいんやで…
それは、3人の息子たちにあてた言葉だったのかもしれません。
父の思いを胸に、蔵之介さんの挑戦は、これからも続いていきます。
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