昭和を駆け抜け、平成に散った伝説の俳優、高倉健さん。
今回は、生前の健さんとともに時代を生きた『家族』の物語です。
本 名:小田剛一(おだ・ごういち、たけいち)[1]
生年月日:1931年〈昭和6年〉2月16日
身長体重:180cm、体重71kg
血液型 :B型
◆実家近くに立つ記念碑
高倉健さんは、福岡県中間(なかま)市の出身。
実家は裕福で、当時の子供たちは裸足で登校する中、健さんだけは革靴に革のランドセルを背負っていたそうです。
意外にも幼少期は身体が弱く、小学生のころ、家で1年間の療養をしたこともありました。
旧制東筑(とうちく)中学、福岡県立東筑高等学校を卒業。
貿易商を目指して明治大学商学部へ進学しており、以降は実家を離れて東京で暮らしました。
2017年11月、実家の菩提寺である正覚寺に、健さんの記念碑が建てられました。
記念碑には、生前の健さんの座右の銘である「寒青(かんせい)」の二文字が刻まれています。
◆海軍出身の父
高倉健さんの父親の名前は、小田敏郎さん。
父・敏郎さんは旧日本海軍の出身で、宝珠山炭坑の労務係として炭坑労働者を束ねる仕事をしていました。[2]
父・敏郎さんの訃報が届いた時、健さんは1976年公開の映画『君よ憤怒の河を渉れ』の撮影中でした。
急いで飛行機で帰ろうとしますが、全日空のストライキの影響で飛行機が飛びません。
やむなく健さんは、急行電車で7時間かけて京都から九州に向かい、神社で行われた葬儀に間に合ったのでした。[3]
◆元教員の母
高倉健さんの母親の名前は、タカノさん。
母・タカノさんは元々、教員でした。
母・タカノさんが亡くなったとき、健さんは1989年公開の映画『あ・うん』の撮影中でした。
最愛の母の葬儀に出れず、健さんは歯を食いしばって撮影を続けたそうです。
2013年、健さんは文化勲章を受章します。
このとき、母・タカノさんの口癖「辛坊ばい」を会見で語り、母親への深い思いを表しています。
◆4人兄弟の3番目
高倉健さんは、4人兄弟の第3子に当たります。
- 長男・昭二さん
- 長女・黎子さん
- 次男・剛一さん(高倉健さん)
- 次女・敏子さん
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