高倉健の【家族】〜離婚した妻・江利チエミ、鎌倉に眠る子供、17年寄り添った養女・小田貴月

昭和を駆け抜け、平成に散った伝説の俳優、高倉健さん。

自分、不器用ですから…

今回は、生前の健さんとともに時代を生きた『家族』の物語です。

名  前:高倉健(たかくら・けん)
本  名:小田剛一(おだ・ごういち、たけいち)[1]
生年月日:1931年〈昭和6年〉2月16日
身長体重:180cm/71kg
血液型 :B型
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◆実家・生い立ち

高倉健さんは、福岡県中間(なかま)市の出身。

実家は裕福で、当時の子供たちは裸足で登校する中、健さんだけは革靴に革のランドセルを背負っていたそうです。

意外にも幼少期は身体が弱く、小学生のころ、家で1年間の療養をしたこともありました。

池田国民学校を経て、旧制東筑中学校(現・福岡県立東筑高等学校)へ進学。

在学中に終戦を迎え、アメリカ合衆国の文化に触れるようになると、ボクシングと英語に興味を持ち始めます。

学校に掛け合ってボクシング部を創部すると、夢中になって打ち込み、戦績は6勝1敗でした。

また、米軍司令官の息子と友達になると、週末に遊びに行く中で英語を覚え、ESS部も発足させて英語力に磨きをかけました。

大学は、貿易商を目指して明治大学商学部へ進学。

在学中は相撲部のマネージャーを1年間務めていました。

1955年、大学時代の知人のつてで、当時、美空ひばりさんが所属していた新芸プロのマネージャーになるため喫茶店で面接を受けます。

(美空ひばりさん↓)

そこに偶然居合わせたのが、東映東京撮影所の所長で映画プロデューサーのマキノ光雄さん。

マキノさんにスカウトされ、東映ニューフェイス第2期生として入社し、俳優の道を歩き始めました。

デビュー作は東映の『電光空手打ち』です。

2017年11月、実家の菩提寺である正覚寺に、健さんの記念碑が建てられました。

記念碑には、生前の健さんの座右の銘である「寒青(かんせい)」の二文字が刻まれています。

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