村田兆治の『家族』〜妻・淑子さんとの間に息子と娘…実家の両親と兄弟について

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◆妻・淑子さん

村田兆治さんの奥様の名前は、淑子(よしこ)さん。

年齢は、村田さんより2歳年上になります。

淑子さんは社長令嬢で、キャセイパシフィック航空でグラウンドスタッフを務め、イギリスの語学専門学校で英語を学んだ才媛でした。

しかし、そんな華やかな経歴とは裏腹に、淑子さんは村田さんに尽くします。

村田さんの現役時代はとにかく亭主関白。

家ではタテのものをヨコにもせず、「みかん」と言えば妻が皮をむき、筋まで取って差し出しました。

結婚当初、妻の作った夕食が気に入らなかったため、ちゃぶ台をひっくり返して激高した、というのは良く知られたエピソードです。

そんな夫に妻がつけたあだ名が「昭和生まれの明治男」でした。

それでも淑子さんは、体調管理のために夕餉には毎日15品以上を並べ、食材や調味料にもとことんこだわりました。

肘を壊した村田さんがアメリカで「トミー・ジョン手術」を受けた時は、淑子さんも一緒に渡米し、通訳やリハビリを手伝っています。

通算215勝を記録し、野球殿堂入りを果たした村田さんの功績は、淑子さんの献身的な支えがあったから成し遂げられたのです。

◆息子と娘

村田兆治さんには、2人の子供がいます。

息子さんは、電通に勤務していると言われています。

娘さんは、テレビブロスの編集者をされているという情報があります。

◆まとめ

1984年、右肘手術からの復活を目指し、リハビリに没頭していた村田兆治さん。

療養先の和歌山で、父・与行さんの危篤の報を受けます。

実家に飛んで帰った村田さんの手を握り、与行さんは最期の言葉を発しました。

お前に…オレの右腕を…やりたい

村田さんは泣き、そして誓いました。

おやじのためにも復活する。天国から見ていてくれ―

そして翌シーズン、開幕から11連勝を挙げるという鮮烈な復活劇を見せています。

これまで見てきた通り、村田さんの活躍の陰には、温かく支えてくれた『家族』の姿がありました。

これからも村田さんのマサカリ投法は、家族やファンの心に残り続けることでしょう✨

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