かつてヤクルト・巨人に在籍し、現在はタレントとして活躍する、長嶋一茂さん。
今回は、そんな一茂さんを取り巻く『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
本 名:一茂・パウロ・長嶋
生年月日:1966年1月26日
身長体重:182kg/86kg
血液型 :B型
◆最愛の妻・仁子さん
①妻・仁子さんは鹿児島出身
長嶋一茂さんの愛妻の名前は、仁子(ひとこ)さん。
結婚前は、猪野(いの)仁子さんという名前でした。
仁子さんは鹿児島県出身で、年齢は一茂さんより1歳年下になります。
一茂さんの母方の祖父母は鹿児島県に所縁があるので、その辺で意気投合したのかもしれませんね。
仁子さんは、
“中学時代からバレーボールの選手として活躍、高3のときに高校総体で優勝、卒業後実業団入りした”
という話もあります。
一茂さんの1歳年下なら、高校3年次は1984年度ですが、その年の高校総体女子の優勝校は大阪の四天王寺高校。
同じ年の春高バレーも四天王寺が優勝し、国体は宮城県の古川商業高校が制しています。
うーん、鹿児島県の高校ではないですね。
バレー留学でもしていない限りは、バレーボールでの全国レベルでの活躍には「?」マークがつきます。
②銀座高級クラブのホステスだった
長嶋一茂さんの知人によると、
“仁子さんは、女優かモデルかと思わせるくらい綺麗な方で、いつもお化粧も服装もパーフェクト”
と言うこと。
そんな綺麗な女性と、どうやって知り合ったのでしょう?
2018年7月の「女性セブン」記事によると、
“A子さんは銀座で超一流ホステスだった”
とあります。
プロ野球選手はよく銀座に飲みに行きますから、最初は客とホステスとして出会ったのでしょうね。
一茂さんは1996年にプロ野球を引退して、タレント活動を始めました。
そして、仁子さんはマネージャーというポジションで一茂さんを支えることになります。
仁子さんはお飾りのマネージャーではなく、ホステス時代に鍛えた感覚で、
“視聴者からどう見えているか、どう話せば良いのか”
を指南。
一茂さんは、仁子さんのアドバイスを素直に聞き入れ、タレントとして大成功を収めました。
ビジネス的な信頼がやがて愛情に変わるのに、そんなに時間はかからなかったのでしょう。
一茂さんは、親しい友人に、
一緒にいると安らげるし、よく気が付く。最高のパートナー
と話していたということです。
③妻との結婚を決めた理由
長嶋一茂さんと妻・仁子さんは、1999年9月27日に入籍しています。
一茂さんが結婚を決めた理由は、
ノストラダムスの恐怖の大王がやってこなかったから
というもの(?_?)
ノストラダムスとは、16世紀のフランスの予言者で、
“1999年7の月に恐怖の大王が来るだろう”
という予言を残していたため、予言の解釈本がベストセラーとなるなど、社会現象となりました。
なるほど、7月に「恐怖の大王」が来なかったので、その2ヶ月後に結婚に至ったのですね。
まあ、一茂さん一流のジョークだったのでしょう(^_^;)
④結婚式で花嫁へ愛を誓う
長嶋一茂さんと妻・仁子さんの結婚式は、1999年の12月3日に行われました。
挙式は神奈川・箱根町の箱根神社。
正午からの結婚式に、一茂さんは黒の羽織はかま、仁子さんは白むくのスタイルで神殿に姿を見せました。
三三九度で杯を交わした一茂さんは、
緊張でガクガクしっぱなし。手に汗かくし、すきっ腹だったので、思わず飲み過ぎて酔っぱらった
と、一茂さんらしいジョークもあり、40分間の式は和やかに進みました。
午後からは箱根神社に近い「箱根プリンスホテル」で、午さん会(食事会)を開催。
野球関係者や俳優の高倉健(たかくら・けん)さんら100人が名を連ねましたが、ウエディングケーキや派手な演出はなく、アットホームな食事会となりました。
一茂さんはグレーのスタンドカラーのスーツ姿、仁子さんはエメラルドのネックレスをつけた白いドレス姿で登場。
元巨人の落合博満さんが、
“一茂君は父の偉大さで苦労したけど、一茂君の子供は苦労しない。早く子供をつくってほしい”
とスピーチし、笑いを誘うシーンも。
一茂さんは、「父と子供の頃から来ていた」という箱根の地で、新妻の仁子さんに永遠の愛を誓ったのでした。
⑤妻からのクレーム
結婚して幸せいっぱいの2人ですが、一茂さんはああいうお方なので、妻・仁子さんからクレームが出ることも。
以下にまとめました。
- 交際中、デートは仁子さんが一茂さんより15分前に店に到着。一茂さんが到着する頃には料理が来ているようにと頼まれていた。
- 交際中の冬のある日、旅行先で朝5時に起こされ、秘境の神社に連れて行かれた。
- 一茂さんの誰にでも奢ってしまう癖。高校の時から貯金通帳には常に100万円が入っており、野球部員に焼き肉を奢っていた。
- 結婚後、夕食は小鉢から始まり、冷たいおかずから温かいおかずを徐々に出していくよう頼まれていた。
- 賃貸マンションに住んでいた時、妻に内緒で内装を勝手に変更。妻に怒られると施工業者と口裏を合わせ、業者に責任転嫁していた。
- 家を建てるとき、自分の部屋・リビング・寝室・廊下に面したソファの下など、普段一茂さんが使う場所にしか床暖房を設置しなかった。
うーん、さすがミスターの息子さんですね(^_^;)
これでもついてきてくれる仁子さんに感謝です。
⑥嫁VS江角マキコさん
妻・仁子さんを語る上で避けて通れないのは、2012年12月に発生した「落書き事件」。
長嶋一茂さんが一家でハワイ旅行中、新築の自宅ガレージに、
『バカ息子』
とスプレーで落書きされたのです。
その2年後、突如、江角マキコさんのマネージャーが、自身の犯行であることを告白。
江角さんは関与を否定しましたが、週刊誌では、
“江角マキコが10万円の報酬を渡してマネージャーに指示した”
と報じられました。
この事件の背景には、一茂さんの娘の学校(青山学院)で繰り広げられた、保護者同士の派閥争いがあったと言われています。
保護者は「江角派」と「反江角派」に分裂。
「反江角派」のトップが、一茂さんの妻・仁子さんだったのです。
激しい派閥同士の争いは、江角さんの下の息子さんの青学受験にも及びます。
反江角派は青学に対し、いかに江角さんの存在がマイナスかを訴えた「上申書」を提出。
「上申書」が影響したとは言えませんが、江角さんの息子さんは不合格となってしまいました。
“自分の事ならいざ知らず、あたしの子が何したって言うの…”
と絶望に打ちひしがれる江角さん。
そして、一部始終を間近で見ていたのが、実行犯となった当時のマネージャーでした。
この落書きが、江角さんの指示だったのか、マネージャーの独断専行だったのか、それは当事者にしかわかりません。
ただ、マネージャーが敵討ちを決行するのに充分なほど、反江角派=仁子さんとの争いは苛烈を極めていたのです。
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[…] 長嶋一茂の『家族』~愛妻・仁子さんと双子の子供たちに囲まれて… […]
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[…] 引用:長嶋一茂の「家族」~愛妻・仁子さんと双子の子供たち、ハワイに眠る母」 […]
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