よしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属する人気芸人・宮川大輔さん。
今回は、そんな宮川さんを取り巻く『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
【本人プロフィール】
名前:宮川大輔(みやがわ・だいすけ)
生年月日:1972年9月16日(46歳)※2018年11月現在
身長:172cm
血液型:B型
◆実家の家業
宮川大輔さんは京都市の出身。
祖父の芳太郎さんは金沢の人でしたが、京都へ出て丁稚奉公として小物屋で働きました。
28歳で独立し、京都市の中心部・烏丸通沿いで小物店を経営。
当時珍しかったナイロンなどの新素材を積極的に取り扱い、商売は大成功を収めました。
しかし、祖父・芳太郎さんが59歳の時、脳卒中で倒れます。
後に亡くなった祖父に代わり、宮川さんの父親が店を継ぐことになりました。
◆父親の職業は?
宮川大輔さんの父親の名前は、宮川雅次さん。
1944年生まれなので、今年(2018年)で74歳になります。
祖父の店を継いだ雅次さんでしたが、1973年、従業員の焚き火が原因で大火事に見舞われます。
店舗も従業員も失ってしまいましたが、父・雅次さんは焼け残った商品を縁日で売り歩き、再起を図りました。
また、多角化を狙って喫茶店もオープン。
しかし、両方の商売は上手くいかず、雅次さんは商売を辞めることを決断します。
一家は自宅を売り払い、郊外に転居。
宮川さんが小学校2年から滋賀県大津市で育っているのは、このためなのでしょう。
父・雅次さんは借金返済のため、MKタクシーの運転手に転身しました。
無事故の優良運転で個人タクシーに転じると、『大輔宮川のすべらない話を掘り起こす旅』などで親子共演を果たしています。
◆父と母の馴れ初めは?
宮川大輔さんの母親の名前は、逸子さん。
結婚前は長岡逸子さんと言う名前で、祖父・芳太郎さんの店で働いていました。
芳太郎さんの具合が悪い時、逸子さんは親身に対応し、その優しい姿に雅次さんが魅了されていることに、芳太郎さんは気付きます。
そこで、祖父・芳太郎さんは雅次さんに、
“長岡と3人でドライブに行きたい”
と話し、3人で出掛けることに。
次第に打ち解けて話すようになった2人を見て安心した芳太郎さんは、その日の晩、容態を悪くし、翌日息を引き取りました。
雅次さんは「父が気に入ってくれた」と感じ、その2年後に結婚したのでした。
ちなみに、母方の先祖に永瀬源七さんという鋳物職人がいます。
永瀬源七さんは今から約150年前、神田明神にある鋳物の桶を製作した人物です。
◆お嫁さんは“マーコ”
宮川大輔さんは1997年、25歳で結婚しています。
お嫁さんの名前は真木子さん。
テレビでは『マーコ』という呼び名で、エピソードに登場してきます。
お嫁さんと結婚した時は、仕事もなく収入もない状態。
それでもマーコさんは、売れる・売れないは全く考えてなくて、なんとかなるやろうと考えていました。
収入面では、完全にお嫁さんに支えられていた宮川さん。
酔いながら、
“どうしたらええねや”
と悩んでいたこともあったそうです。
たがて少しずつテレビに出られるようになって、食べていけるようになった宮川さん。
苦労をかけたお嫁さんへ、それまでの感謝の意味を込めて、2人で遊びに行ったり、旅行に行くようになりました。
◆結婚13年目の花嫁
宮川大輔さんには、ずっと気になっていることがありました。
それは結婚当時、金銭的理由で結婚式を挙げれなかったことです。
お嫁さんにドレスを着せることも出来ず、両家の両親にも、たくさん心配をかけてきました。
そこで、宮川さんと嫁のマーコさんは、両家の家族を招待して、ハワイでの結婚式を計画。
家族をハワイ旅行へ招待しましたが、結婚式のことは当日まで内緒にしていました。
式の前日に買い物に行って、
“明日、今日買ったアロハシャツ着て集合な”
で解散。
両親はそれでピンときていましたが、それでも本当にチャペルで結婚式やるとは思っておらす、びっくりして喜んでくれました。
両家の家族みんなで、
“こんなに泣けるか?”
というくらい泣きました。
結婚13年目の挙式は、それまでの色んな気持ちが溢れ、涙、涙の結婚式となりました(゚ーÅ)
◆子供の名前や年齢は?
宮川大輔さんには子供が一人いて、名前は「健太」くん。
2010年12月2日生まれなので、今年(2018年)で8歳になります。
結婚して13年間、宮川さんと嫁のマーコさんの間には、子供がいませんでした。
結婚当初は収入がない状態で、子供のことなど考える余裕もなかったのでしょう。
しかし、経済的にも余裕ができて、結婚式をしようと考えた辺りから、
“子どもが欲しいな…”
という気持ちが芽生えてきた宮川さん。
お嫁さんも、子供を作るための身体作りを始めました。
すると、結婚式をやった後すぐに、お嫁さんから「妊娠した」と告げられます。
宮川さんは、
“神様って本当にいるんだなぁ”
としみじみ思いました。
順番や巡り合わせというのは、本当にあるものなんですね。
◆子供も芸人に?
宮川大輔さんは父・雅次さんから
“思い立ったら行動できる人間になれ”
と言われて育ちました。
そして自分が親になると、子供に対しても同じ気持ちを持っています。
もし子供が「芸人になりたい」と言って来たら、宮川さんは賛成するそうです。
“本人が本気で言うなら、自分の力でやってみたらいい”
と言い切ります。
ただ、そう言った後に、
ただ、芸人は難しいですけどねぇ(笑)
パパみたいになりたいと言われたら…嬉しいですけどね。
嫁は嫌でしょうね。「お前もかい!」って言うのが想像できますよ(笑)
と続けているので、気持ちは複雑なのでしょうね。
◆すべらない話「姉の入浴を撮影」
宮川大輔さんと言えば、『人志松本のすべらない話』でブレイクした芸人さん。
同番組では数々の名作を披露しましたが、その中に、「姉の入浴を撮影」という話があります。
面白い話なので、(ほぼ)ノーカットで書き起こしますね。
実は僕、お姉ちゃんがお風呂入ってるとこ…
ちょっともう、ビデオで撮ったろうと。
ある日、チャンスが来たんですよ。
お父さんとお母さんが沖縄に旅行行ったんですよ。
それで家にはお婆ちゃんと僕とお姉ちゃんしかいーひん訳ですよ。
それでベータの、ビデオカメラをカセットを入れて、スタンバって置いておくわけですよ。で、
早うお姉ちゃんお風呂入らへんかな…早うお姉ちゃんお風呂入らへんかな…
思うたら、2階からタンスが「カチャッ」と閉まる音が聞こえて、
「あ、パジャマ取りよったな」と思ってコタツに入って…
お姉ちゃんが2階からトントントンと降りてきて、
「大輔、先、お風呂入っていい?」みたいな…
僕は「いや、入ってこいや、何いちいち言うてんの」言うたら、
お姉ちゃんは「何やねん、もう」みたいに言って、入りに行ったんですよ。
そしたら僕「パーッ」と走って、ビデオ持って、
勝手口のね、扉が「カタン」って言うから…
「ウーッ!」って声でごまかして、ゆっくり出て行って
まず、それ(カメラ)を置いて、お風呂のとこに…こう行くんですよ。
ほんで、ゆっくり(窓を)こう開けて、もっかい戻ったんですよ
ほんで、しばらくして横から見たら、湯気が「バーッ」出て来たんで、
「よっしゃ、お姉ちゃん入りよった」と。「頭洗ろうとる」と。
で、ここ(近く)でベータのカメラを回すと、ベータの音が
「ガッチャン、ウーーーーン」と
言うから、バレるでしょ?バレルから、こっちの辺から
「ガッチャン、ウーーーーン」と…(運んで撮影)
そんで、ここで見たいんですけど、ここやったらまたバレるから
向こうの方行って、停止「グーーーゥン」て押して、
また、撮れてるかどうか「キュルキュルキュルキュル」って巻き戻して、
再生を押して、見て、
「あ、撮れてへん、もうちょっと角度こうしたらええ」と決めて、また、
「ガッチャン、ウーーーーン」と運んで行って
こうする(持ち上げて撮影する)訳ですよ。
そして、またそこで見るわけですよ。
そしたら「撮れてへん」と。
で、どうやったら撮れるんやろう思って、また
「ガッチャン、ウーーーーン」って行ったら、電気消えてたんですよ。
「ヤバい」思って、それ(カメラ)そこに置いて、また勝手口から入って、
コタツん中入って、またテレビ見るんですよ。
ほんならお姉ちゃんが、「お風呂あがったで~」みたいな…
「もうイチイチええねん!」(そう言いながら)心臓バクバクですよ…
ドッキドキしてるんですけど、
ふつう装って「もうええねん」と言いながらね、
やったというね…(お話でした)
他にも「姉の胸」「姉のアゴ矯正」などの話がありますが、それはまたの機会に…(^_-)
◆まとめ
宮川大輔さんの売れない時代は、経済的にも精神的にも支えてくれた嫁・マーコさん。
しかし、苦労したとは思っていないそうで、
“生まれ変わっても選んでもらえるなら一緒にやりたい”
と、宮川さんへの思いを口にしています。
これからも家族の応援を胸に、宮川大輔さんの挑戦は続いていきます(^o^)丿
コメント