玉城デニーの『家族』~保育士妻との間に息子2人と娘2人…父は米国、母は沖縄のハーフ知事

沖縄県知事をつとめる、玉城デニーさん。

今回は、そんな玉城さんを取り巻く『家族』にスポットを当て、ご紹介します。

名  前:玉城デニー(たまき・デニー)
本  名:玉城康裕(たまき・やすひろ)
生年月日:1959年〈昭和34年〉10月13日
出身地 :沖縄県うるま市
家族構成:妻、母、息子2人、娘2人
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◆家族構成

玉城デニーさんは、自身の家族構成を、

妻、母、二男二女、猫、家守、他

と紹介しています。

猫くらいまでは分かりますが、「家守」はハ虫類のヤモリのことなんでしょうか?

さらに「他」となると、金魚か昆虫くらいしか思い当りませんね(^_^;)

いずれにしても、賑やかで楽しそうな家族であることは分かります。

◆生い立ち

玉城デニーさんは、米国統治下の沖縄県中頭郡与那城(よなしろ)村(現、沖縄県うるま市)の出身。

小学校は地元の、与那城村教育区立与那城小学校へ通いました。

このころ母親は、生活費を稼ぐために住み込みで働いていたため、デニーさんは10歳まで母親の友人宅に預けられ、育っています。

中学校は、与勝事務組合立与勝第二中学校へ進学。

中学時代にはロックに目覚め、ディープ・パープルブラック・サバスなど、70年代のブリティッシュ・ハードロックに夢中になります。

高校は、沖縄県立前原高等学校へ進学。

高校時代にはついにロックバンドを結成。

友達から、

お前は顔が洋風だから英語の歌を歌えるはずだ!

と言われ、デニーさんがボーカルになります。

しかし、沖縄生まれ沖縄育ちの生粋のウチナーンチュであるデニーさんに、英語を喋れるわけはありませんでした。

高校を卒業すると、東京にある上智社会福祉専門学校へ通います。

福祉系の専門学校を選んだのは、自身が母子家庭に生まれ、いろんな人たちに助けてもらって生きてきたからです。

誰かの役に立てるような仕事をしたい!

という強い心で、昼は仕事をしながら勉強を続けました。

専門学校を卒業すると、沖縄に帰って、福祉関係の施設に就職しています。

◆父親は米国人

玉城デニーさんの父親は、沖縄の米軍基地に駐留していた米兵でした。

玉城さんの元々の名前は、父の母国であるアメリカに渡航することを前提に、デニス(Dennis)と名付けられます。

しかし結局、アメリカに渡航することはなく、本名は小学校4年生のときに家庭裁判所に申し出て、(やすひろ)に改名されました。

デニー(Denny)は子供の頃からの愛称です。

◆母親はウチナンチュ

玉城デニーさんの母親の名前は、ヨシさん。[3]

沖縄県国頭郡伊江村出身の、ウチナンチュ(沖縄の人)です。

つまり、玉城さんはハーフと言うことになりますね

玉城さんは沖縄県知事に立候補する前は、衆議院議員を務めていました。

日本とアメリカは同盟国ですが、日本とアメリカのミックスルーツを持っている衆議院議員は始めてなのだそうです。

40代で沖縄の人気タレントとなっていた玉城デニーさん。

2002年の沖縄市長選に出ないか?という話が舞い込みます。

家族にも親戚にも反対されたデニーさんが、一応、番組を持っていた放送局にも相談したところ、新聞社に話が漏れて、

“玉城デニー、沖縄市長選挙出馬へ”

と、翌日の朝刊に書かれてしまいました(゚д゚;)

その影響でラジオは降板。

お母さんには、

あんたは馬鹿だね、人の口車に乗って馬鹿だね

と怒られたのだそうです(>_<)

2019年12月3日、母・ヨシさんは、肺線がんによる呼吸不全のために亡くなりました。

享年、85歳でした。

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