元おニャン子クラブで、現在も根強い人気のある、新田恵利さん。
会員番号4番です!
今回は、そんな恵利さんを育み、支えてくれた『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
生年月日:1968年〈昭和43年〉3月17日
身 長:156cm
血液型 :O型
家族構成:夫
◆大正生まれの父親
新田恵利さんのお父さんの名前は、彦太郎さん。[1]
何と大正元年(1912年)生まれだそうです。
このため、恵利さんとは年の差があり、お父さんが56歳の時に生まれた子供だそうです。
恵利さんは、友達のお父さんより年をとっている自分の父親の事を、少し恥ずかしく感じていました。
さらに、恵利さんが中学ぐらいの時、大工だったお父さんは年齢的にも体を壊し、働けなくなってしまいます。
まだ未熟な恵利さんは、働けない父親のことが嫌いになり、反抗期もあって、一層、反発するようになりました。
17歳のある日、恵利さんは仕事に出かける前に、お父さんにひどい言葉を浴びせてしまいます。
くたばれ くそじじい!
そして、仕事が終わって帰宅すると、お父さんは本当に冷たくなっていました。
享年73歳。
もともと肝硬変を患っており、体調が急激に悪化したものでした。
恵利さんのソロデビュー曲「冬のオペラグラス」の発売は1986年1月1日。
その1週間前のできごとでした。
悲しみも癒えぬ中、発売されたデビュー曲は30万枚を超える大ヒット。
オリコン初登場1位で、番組内で花束を受け取ったとき、恵利さんは号泣します。
私の中では父が死んでこんなに悲しい気持ちなのに、テレビの中では笑ってなきゃいけないという、その矛盾に大泣きしていました
喜びの涙ではなく、悲しみの涙なのでした。
後年、恵利さんは、お父さんの事を、
これからは父の昔話を自慢したいなって。『うちの父はこうだったんだ』って自慢したいなって思うようになりました
と語っています。
◆母親の名前は?
新田恵利さんのお母さんの名前は、ひで子さん。[1]
1928年生まれになります。
母は昭和生まれです!
母・ひで子さんは68歳の時に、骨粗しょう症による背骨の圧迫骨折を起こし、入院しました。
その後も、数年ごとに圧迫骨折を繰り返すようになったため、後年は神奈川県内の2世帯住宅で介護をしています。
2014年9月、5回目の圧迫骨折を起こしたお母さんは、ひどい痛みを訴えて、自分から「入院したい」と申し出ました。
そして、入院して10日を過ぎた頃から、お母さんの言動がおかしくなります。
なんで恵利が政治の番組に出ているの?
恵利さんは、政治番組に出演していません。
お父さんは家で何をしているかしら?
お父さんは、約30年前に他界しています。
まずい、このままでは母が認知症になってしまう…
恵利さんはそう考え、早めに退院することにしました。
幸い、認知症かと思った症状は、高齢者が急に環境が変わった時によく起きる「せん妄」だったようです。
母・ひで子さんは、だいぶ元気を取り戻しましたが、介護が必要な状態。
お母さんから愛情たっぷりに育ててもらった恵利さんは、介護でゆっくりとお返しをしたのでした。
◆兄弟はいる?
新田恵利さんには、お兄さんがいます。
後年まで独身だったお兄さんは、飲食店勤務。
2世帯住宅のお母さんの部屋に住み込み、恵利さんと手分けして、介護を行っていました。
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