芸能史に残る永遠のアイドル歌手、松田聖子さん。
好きなマンガはクレヨンしんちゃんです!
今回は、そんな聖子さんを育み、支えてくれる『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
本 名:蒲池法子(かまち・のりこ)
生年月日:1962年〈昭和37年〉3月10日
身 長:160cm
血液型 :A型
◆実家は柳川城主の末裔
松田聖子さんは、福岡県久留米市荒木町の出身。
実家の蒲池家は、柳川城の城主だった蒲池氏第16代当主・蒲池鑑盛(かまち・あきもり)の三男・蒲池統安(かまち・むねやす)の子孫に当たります。
江戸時代の蒲池家は、柳川藩の家老格だったと言われています。
そんな名家出身の聖子さんですが、幼少期は太っていて、
ブタまんじゅう
と呼ばれ、からかわれていました。
小学校は地元の、久留米市立荒木小学校へ通いました。
小学校時代は人気アニメ「アタックNo.1」の影響で、バレーボールをやっていました。
中学校は地元の、久留米市立荒木中学校に進学。
中学時代は軟式テニス部に所属し、
スチュワーデスか保母さんになりたい!
と思っていたそうです。
高校はカトリック系の、久留米信愛女学院高等学校へ進学。
キリスト教研究部に入部し、各学年で1人しか選出されないという『女神』の役職に選ばれました。
一方で、大ファンであった郷ひろみ(ごう・ひろみ)さんのコンサートが福岡で行われる度に観に行き、歌手に憧れるようになっていきます。
◆父親の職業は?
松田聖子さんのお父さんの名前は、蒲池孜(かまち・つとむ)さん。
福岡県柳川市の出身で、職業は、国家公務員(厚生省事務官)を務めていました。
お父さんは当初、聖子さんの芸能界入りに大反対でした。
聖子さん高校2年生の時、内緒で「ミス・セブンティーンコンテスト」の九州大会に出場して優勝した時は、
何を考えているんだ!
とお父さんに激怒されます。
この時は、コンテストの全国大会を辞退しますが、歌手への夢を諦めない聖子さんに、ついにお父さんは、芸能界入りを認めました。
その代わり、お父さんは、
3年間一生懸命やって、だめだったら諦めて学校に戻るように
という条件を出します。
聖子さんは、
何があっても頑張らなければ…
と、強く心に誓いました。
1980年4月、高校卒業と同時にシングル『裸足の季節』で歌手デビュー。
その後の活躍は、周知のとおりです。
幸いにも、父との約束である「学校に戻ること」はありませんでした(^_^)
◆母・蒲池一子さん
松田聖子さんのお母さんの名前は、蒲池一子(かまち・かずこ)さん。
お母さんは高齢になりますが、株式会社ファンティックの会長を務めるなど、現役で活躍しています。
ファンティックは、以前は聖子さんが所属し、現在は神田沙也加さんが所属する、芸能事務所です。
お母さんは、福岡県八女市の出身で、実家は庄屋の家系でした。
ちなみに聖子さんは、お母さんの姉が院長夫人だった「高良台病院」で生まれています。
聖子さんが芸能界入りを希望した時、聖子さんの夢を理解し、反対するお父さんを説得してくれたのは、お母さんでした。
聖子さんが上京することも、
一子が一緒に住むなら…
という条件で、お父さんはOKを出しています。
聖子さんの活躍を、一番近くで支え続けたお母さんですが、最近は二人の間にすきま風が吹いているようです。
原因は、聖子さんの不倫に対し、お母さんが厳しい態度をとるためだとか。
不倫については後述しますが、正当性は、明らかにお母さんの方にありますよね(~_~;)
聖子さんも、お母さんの言うことを聞いて、早く目を覚まして欲しいと思います。
◆兄・蒲池光久さん
松田聖子さんにはお兄さんがいて、名前は蒲池光久さん。[1]
年齢は、聖子さんより9歳年上になります。
お兄さんは、偏差値75を誇る、久留米大学附設高等学校を卒業しているので、超エリートです。
2003年11月には、久留米附設高の同窓会に、聖子さんがノーギャラで出演したそうで、仲が良い兄妹なんですね。
幼い頃から仲が良かったために、妹の事を心配したのでしょう。
聖子さんの芸能界入りに誰よりも反対したのは、実はお兄さんでした。
お兄さんは現在、株式会社ファンティックの代表取締役社長を務めています。
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