女子重量挙げの日本代表選手、三宅宏実さん。
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今回は、そんな三宅さんを取り巻く『家族』の物語です。
◆生い立ち
三宅宏実さんは、埼玉県新座(にいざ)市の出身。
小学校は地元の、新座市立東野(ひがしの)小学校に通いました。[2]
この頃はピアノを習う普通の女の子で、新座市立第二中学校時代は軟式テニスに熱中します。
転機が訪れたのは、中学3年生の時。
シドニー五輪の女子ウエイトリフティングをテレビで観て、
自分もやってみたい、夢を追いかけたい
と強く思うようになったのです。
埼玉栄高等学校に進学してウエイトリフティング部に入ると、高校2年の8月に全国高校女子選手権53kg級で優勝。
高校3年の6月には、全日本選手権53kg級で優勝を果たしました。
大学は、法政大学キャリアデザイン学部に進学しています。
◆家族構成
三宅宏実さんの実家の家族構成は、父親、母親、長兄、次兄、宏実さんの5人家族です。
自身は独身であり、自分の家族はこれから築くことになります。
◆父・三宅義行
三宅宏実さんの父親の名前は、三宅義行(みやけ・よしゆき)さん。[3]
1945年〈昭和20年〉9月30日の生まれになります。
父・義行さんは、宮城県柴田郡村田町の出身。
法政大学卒業後、1968年のメキシコシティオリンピックで、重量挙げフェザー級で銅メダルを獲得しました。
この時、実兄(宏実さんの叔父)の三宅義信(みやけ・よしのぶ)さんは金メダルを獲得しており、兄弟で表彰台に立つ姿が話題を呼んでいます。
その後、幹部自衛官として自衛隊体育学校に在籍しながら、1969年と1971年の世界選手権で優勝。
現役引退後は指導者として、数多くの重量挙げ選手を育成してきました。
父・義行さんは現在、国際ウエイトリフティング連盟の理事と日本ウエイトリフティング協会の会長を務めています。
◆母親はピアノの先生
三宅宏実さんの母親の名前は、三宅育代さん。[4]
1950年ごろの生まれになります。
母・育代さんは、音楽大学の出身で、自宅でピアノ教室の先生をつとめていました。
自然の成り行きで、宏実さんは15歳までピアノを習うことになりますが、ピアノの練習はあまり好きではありませんでした。
中学3年で、
ウエイトリフティングをやってみたい
と打ち明けた時、お母さんは反対しました。
母・育代さんは、お父さんやお兄さんの現役時代を見てきたので、
できれば女の子にはそんな辛いことをさせたくない
と思っていたのです。
しかし、最終的には賛成してくれ、宏実さんの競技生活を支えてくれています。
◆2人の兄
三宅宏実さんには、お兄さんが2人います。
①長兄
長兄は、宏実さんと同じ法政大学出身で、重量挙げの競技経験者です。
②次兄
次兄の名前は、三宅敏博(みやけ・としひろ)さん。[5]
1975年〈昭和50年〉6月15日生まれなので、宏実さんより10歳年上になります。
兄・敏博さんは、自衛隊体育学校ウエイトリフティング77kg級選手として、全日本選手権大会通算5度の優勝を飾りました。
2009年~2012年までは、日本女子代表の監督を務めています。
◆まとめ
新型コロナウイルスの影響で、東京オリンピックが1年延期となったとき。
年齢を思うと、あと1年は長い
メンタルを維持するのが困難となった宏実さんは、
練習を休みたい
と弱音をこぼすようになりました。
この時、父・義行さんは、
何があるか最後までわからない。頑張ろう
と娘を鼓舞し、お母さんは食事面で献身的なサポートをします。
そして宏実さんはもう一度、東京五輪を目指すことを決意しました。
これからも家族の応援を胸に、宏実さんの挑戦は続いていきます(^o^)丿
◇脚注
- いちごウェイトリフティング部ホームページ 2021年7月23日確認 メンバー紹介 三宅宏実
- 朝日新聞 2019年3月1日 埼玉)女子重量挙げの三宅選手が母校訪問
- 朝日新聞 2021年7月17日 三宅宏実は「父も伯父も超えた」 最後の5回目五輪へ
- 埼玉新聞 2021年7月11日 東京五輪・重量挙げの三宅宏実選手の活躍祈念 母校の埼玉・新座の中学校が応援メッセージ、母親に贈呈
- 東京国際大学ホームページ 2021年7月23日確認 三宅敏博ヘッドコーチプロフィール -ウエイトリフティング部-
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