フリーアナウンサーでタレントとして活躍する、みのもんたさんが注目を集めています。
今回は、そんな「みの」さんを育み、いつでも支えてくれた『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
◆実家・父親の職業は?
みのもんたさんの父親の名前は、御法川正男(みのりかわ まさお)さん。
ちなみに、みのさんの本名は、御法川法男(みのりかわ のりお)さんです。
父・正男さんは、宮城県栗原郡鶯沢村(現:栗原市)出身。
その縁で、みのさんも、宮城県のふるさと大使「みやぎ夢大使」を務めたことがあります。
お父さんは、日国工業という水道メーター製造・販売会社を創業。
将来は、みのさんが継いでくれることを期待し、みのさんの大学卒業時には、名刺まで用意してあったそうです。
みのさんは、意に反して文化放送に入社しますが、13年後に退社。
ようやく、父親の会社を手伝うようになり、10年間は営業で全国を飛び回りました。
後年、みのさんはその頃の様子を語っています。
毎週、名古屋にある親父の会社に通いましてね、ナッパ服に着替えてバリバリ働きますよ。(中略)ぼくは別に、親父の会社から給料をもらいたくて働いてるわけじゃない。ただ、会社が僕を必要としているから
2005年1月、父・正男さんは、92歳で天寿を全うされましたが、みのさんは現在も、父の会社の代表を務めています。
◆母親の言葉
みのもんたさんは、2015年2月、赤旗新聞に一面を飾り、そこで、お母さんに言及しています。
実は、みのさんにはお兄さんがいたのですが、みのさんが生まれる前月に3歳で夭逝。
その通夜の席で、お父さんに召集令状が届き、弔問客からは万歳の掛け声が…
お母さんは「国を呪った」そうです。
そういう経験から、お母さんはみのさんに、何百回も話して聞かせました。
日本は戦争をしてどれだけの人間を死なせてきたかよく考えなさい
◆兄弟
前述の通り、みのもんたさんには、幼くして亡くなった2歳上の兄・正昭さんがいました。
ほかに、3歳年下の妹さんがいるそうです。
◆お嫁さんは皮膚がんで…
みのもんたさんのお嫁さんの名前は、御法川靖子さん。
妻・靖子さんは、立教大学時代の放送研究会の1年後輩に当たり、大手建設会社の社長令嬢でした。
みのさんが、テレビの仕事で活躍するようになると、靖子さんは専属スタイリストとして、その活動を支えます。
しかし、そんな嫁・靖子さんが60歳を過ぎたころ、病魔が襲い掛かりました。
最初は皮膚病のような気持ちでいたんですが、実際は皮膚がんで。それが皮膚でとどまらずに骨に転移していった
末期の皮膚がんであることが伝えられると、医師の許可を得て、みのさん夫妻は、毎年訪れていた米ニューヨークへ出かけました。
靖子さんは、5日目までは元気でしたが、6日目の朝に鼻血が出ます。
がんが小脳にまで転移していた靖子さんは、ほどなく帰らぬ人となりました。
一人になった みのさんが、自宅の衣装室に入ると、翌月までの衣装が、日にち毎に、綺麗に揃えてあったそうです。
お嫁さんとして、また、仕事上のパートナーとして、みのさんが失ったものは、あまりにも大きなものでした。
◆息子(長男)の名前は?
みのもんたさんの息子(長男)の名前は、御法川隼人さん。
隼人さんは慶應出身で、TBSに勤務しています。
隼人さんの結婚披露宴には、民放各局トップや大手芸能プロのトップのほか、石原伸晃(いしはら・のぶてる)さん、二階俊博(にかい・としひろ)さんなどの大物政治家も列席。
徳光和夫(とくみつ・かずお)さん、古舘伊知郎(ふるたち・いちろう)さんら大物司会者を横目に、披露宴を仕切ったのは、当時日テレの羽鳥慎一(はとり・しんいち)アナウンサーでした。
◆息子(次男)は現在?
みのもんたさんにはもう一人息子(次男)がいて、名前は御法川雄斗さん。
次男の雄斗さんは、日本テレビに勤務していました。
しかし2013年9月、みのさんの息子は、事件を起こしてしまいます。
泥酔し、道で横たわっていた男性の鞄からキャッシュカードを盗み出し、現金を引き出そうとしたのです。
警察は、窃盗(未遂)容疑で逮捕し、次男は日本テレビを諭旨解雇処分となりました。
この影響で、みのもんたさんも『朝ズバッ!』『サタデーずばッと』を降板します。
事件を起こした息子さんは、
“偶発的な犯行で、会社を解雇されるなど社会的制裁を受けている”
などとして起訴猶予となりました。
現在は、父が代表を務める「ニッコク(旧・日国工業)」に再就職しているそうです。
◆娘(長女)
みのもんたさんには娘もいて、名前は「なみ」さん。
なみさんは、有名女子大で英文学を専攻し、卒業後には英国の名門、オックスフォード大学に留学した才女です。
帰国後も、母校で研究者として働いていましたが、やがて転機が訪れます。
それは、最愛の母の死でした。
そして、なみさんが大きな決断をしたのは、母・靖子さんが亡くなって1か月ほどが経ったころ。
何と、研究者としてのキャリアを捨て、靖子さんの後を継いで、みのさんの専属スタイリストに転身したのでした。
スタイリストの仕事に関しては、まったくの素人だったので、一から勉強し直したのだそうです。
なみさんは、靖子さんを若くした感じで、顔だけでなく、背格好までそっくり。
悲しみに暮れる みのさんにとっても、娘の決断は、大きな支えとなったことでしょう。
◆まとめ
みのもんたさんの妻・靖子さんの葬儀でのことです。
娘の なみさんは、母の喪服を着て参列しようと準備したところ、着つけの先生が驚きの声を上げます。
“これ、すでにお嬢さんの寸法に仕立て直してあります…”
靖子さんは残されたわずかな時間の中で、なみさんに着てもらえるよう、自分の喪服を直していたのでした。
靖子さんは、今日も天国から、みのさん一家を見守ってくれていることでしょう。
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