◆父親:喜多川諦道さん
ジャニー喜多川さんの父親の名前は、喜多川諦道(きたがわ・たいどう)さん。[1]
1898年〈明治31年〉生まれになります。
真言宗の寺の僧正だったジャニー喜多川の父・喜多川諦道は、同じ宗派の住職のツテで実業家・橋本三郎と繋がる。昭和21年、橋本は戦前の職業球団・朝日軍の選手4人(坪内・内藤・菊矢・酒沢)を引き抜いて主力とし、新球団「ゴールドスター」を結成。諦道は球団マネージャーを任される。@retoro_mode pic.twitter.com/UgDwfPcl7v
— 萬象アカネ (@bansho_akane) July 9, 2019
父・諦道さんは大分県出身。
8歳で出家し、13歳で高野山の普賢院に弟子入りして、修行を始めました。
当時の普賢院の住職は、政界や財界に通じている方で、大隈重信(おおくま・しげのぶ)氏もその中の一人。
この縁から、諦道さんは大隈重信氏に可愛がられ、そして海外に興味を持つようになりました。
1924年2月にアメリカへ渡り、ロサンゼルスの大師教会(現、高野山米国別院)へ挨拶したところ、当時の主監に手伝いを頼まれて滞留することになります。
それから主監は帰国。
次の主監が来るまで大師教会を任されましたが、結局、諦道さんが日本に住む妻を呼び寄せ、3代目の主監に就任しました。
主監をつとめたのは、1924年から1934年までの10年間に及んでいます。
主監といえば、お寺の住職のようなものですが、諦道さんは異色の存在でした。
自分のことを「ヤクザ」「遊び人」と称し、教会で料理講習会を開くと、日本海軍の若い水兵を招待していました。
また、ボーイスカウト第379隊を結成すると、リトルトーキョーのフェスティバル『ニ世ウィーク』のパレードで、先頭を行進させています。

この辺、ジャニー喜多川さんに通じるものがありますね
父・諦道さんは日本へ帰国すると、1946年から1949年まで、プロ野球チーム「金星スターズ」のマネージャーを務めています。
また、1960年頃には、大阪で「杵万」というおかき屋、ぜんざい屋をオープンしています。
◆母親:喜多川栄子さん
ジャニー喜多川さんのお母さんの名前は、喜多川栄子さん。[1]
1933年、喜多川さん一家はアメリカから日本に渡り、大阪で暮らしましたが、間もなくしてお母さんは亡くなられたそうです。
ジャニーさんは「ハーフ」という説もありますが、名前を見る限りお母さんも日本人なので、ハーフではないようですね。
◆兄:喜多川真一さん
ジャニー喜多川さんにはお兄さんがいて、名前は喜多川真一(きたがわ・まさかず)さん。[2]
お兄さんはエンジニアで、NASAでアポロの設計もしていたそうですが、1980年代に50代半ばで亡くなられています。
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