しんば・かづや【榛葉賀津也】
◆実家・生い立ち
榛葉賀津也(しんば・かづや)さんは1967年〈昭和42年〉4月25日、静岡県菊川町(現・菊川市)に生まれました。
少年時代は野球に没頭し、中学では野球部に所属。
「投手」として活躍しましたが肩を痛め、静岡県立掛川西高等学校では「マネージャー」を務めました。
同時に生徒会長として「制服自由化」などの制服自由化などの政策を進めています。
イラン・イラク戦争の報道を契機として中東に興味を持ち、卒業後、英語を学ぶためにアメリカ合衆国オハイオ州のオタバイン大学政治学部・国際問題研究学部に進学。
イスラエルのテルアビブ大学留学を経て、1991年にオタバイン大学を卒業しています。
◆父親
榛葉賀津也さんの父親の名前は榛葉達男さん。
父・達男さんは静岡県議会議員、菊川町長を務めた政治家で、地域を第一に考えた姿勢は、賀津也さんの人生に影響を与えました。
進路に関して指示はなかったものの、賀津也さんが留学を希望した際は黙って背中を押してくれたそうです。
実家ではかつて20匹以上のウサギを飼っていました。
理由を尋ねると、達男さんは
だってお父さん、うさぎ年生まれだから・・・
と答えたといいます。
しつけは厳しい達男さんですが、ユーモアも持ち合わせていたのでしょう( ^^) _U~~
母・公子さんは1941年〈昭和16年〉生まれで、戦争遺児として苦労を重ねながら、家庭では穏やかに家族を支えてきました。
◆兄弟姉妹
榛葉さんには5歳年上の姉と、3歳年上の兄がいて、三人きょうだいの末っ子として育ちました。
兄弟のエピソードとして語られるのは「牛乳配達」。
父の
お前達はなんの取り柄もないんだから牛乳配達をしなさい
という一言で牛乳配達を強いられた兄弟は、雨の日も風の日も牛乳配達を続けました。
そのうち姉の中学進学を機に牛乳配達の担当が兄と榛葉さんに引き継がれ、数年後には兄も卒業。
ひとりで配達を続けた経験について

末っ子は損だと思った
と語っていますが、それが辛抱強さをさを育てた一面もあるのでしょう。
しかし牛乳配達が

死ぬほど嫌だった
という榛葉さんは、何度か反乱を起こし牛乳配達を拒否しました。
その時はお母さんがこっそり配達をしてくれたのだそうです✨
◆3歳年上の妻
榛葉さんの妻は3歳年上で、長年にわたり家庭を支えてきました。
政治の世界で多忙を極めるなか、榛葉さんの支えとなり、家庭を守ってきました。
過去には女性秘書をめぐるトラブルが週刊誌で報じられたこともありました。
その際、家庭内では厳しい対話が交わされ、娘からビンタを受けたとも伝えられています。
こうした出来事を経て、家族の絆はいっそう深まったのでしょう😅
◆2人の娘と息子
榛葉さんには一男二女の3人の子供がいます。
長女または次女のひとりは「花ちゃん」と呼ばれ、思春期の3年間を島田市の中学校で過ごしました。
家族への思いや地元への愛情を育んだ時間だったようです。
◆まとめ
榛葉賀津也さんの原点には、父の厳格さ、母の優しさ、兄姉との日々、妻の支え、そして子供たちのまなざしがあります。
ある選挙の朝、娘から「お父さんの頑張りは私たちの誇り」と言葉をかけられ、再び街頭に立ったといいます。
家族の応援を力に、榛葉賀津也さんはこれからも挑戦を続けていきます(^o^)丿
◇出典
- Wikipedia「榛葉賀津也」
- 静岡新聞 2023年8月15日付 「榛葉賀津也氏、地元と家族に支えられて」
- FNNプライムオンライン 2023年10月2日付 「自衛隊出身の政治家・榛葉賀津也、家族との原点」
- Family Navigate 2023年11月号 「家族を語る政治家たち」
- 週刊現代 2023年9月16日号 「この人に聞く:榛葉賀津也」
- 本人講演記録『私の原点、家族と信念』(2022年6月)
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