音楽ユニット「水曜日のカンパネラ」の主演を務める、コムアイさん。
今回は、そんなコムアイさんを育み、支えてくれた『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
◆実家は川崎、冷めた子供時代…
コムアイさんは神奈川県川崎市の出身。
実家は川崎の新興住宅街にあり、同じような家が並んでいて、人は住んでいるのに道路が閑散としている街でした。
学校から誰にも会わないまま帰宅したり、公園に行っても誰もいなかったりで、
育った街に対しては、すごく殺伐とした印象
があるのだそうです。
小学生時代に将来の夢はなく、
周りの子たちが“パン屋さんになりたい”とか、何でその時点で決められるのかって思ってた…
という、冷めた子供だったコムアイさん。
中学からは慶応の藤沢中等部に通いますが、
人生で1番嫌だった
という暗黒の時代を過ごします。
学校に馴染めず、授業にも身が入らず、教師と入れ違いに教室を抜け出し、トイレに逃げ込んで時間をつぶすという毎日。
楽しみは「ピースボート」の事務所に通い、そこに来る人たちの悩みを聴くことだったとか…
高校時代は女友達と2人でキューバに乗り込み、同世代のティーンの子達100人の写真を撮影し、人生のルールを聞いてくるという企画を実行しています。
他にも反原発のデモに参加したり、若い人たちが運営している自給自足の村で農業をしたり…
冷めているのか熱いのか分かりませんが、とにかく普通とは異なる感覚は、こうして身についていきました。
◆父親は東大卒・アメフトの顔
コムアイさんのお父さんの名前は、輿 亮(こしまこと)さん。
ちなみに、コムアイさんの本名は、輿 美咲(こしみさき)さんです。
父・亮さんは1959年11月10日生まれなので、今年(2017年)で58歳。
東京・世田谷区の出身で、麻布中学時代にアメフトと出会い、東京大学在学中にアメフト選手として活動しました。
東京大学工学部を卒業後は富士通に入社し、レーザープリンターの開発などに携わりながらもアメフトも続けます。
1985年にアメフトプロチームである「富士通フロンティアーズ」が発足した際は、アメフト選手兼コーチとして設立に関与しました。
1990年からは同チームの監督を務めたほか、アメフト国際試合における日本代表チームの監督も務めました。
NHK-BSのNTLアメフト解説を18年続けるなど、日本のアメフト界を代表する人物の一人です。
そんなすごいお父さんですが、コムアイさんが高校の時、
お前は多分、OLにはなれない
と言ったことがあります。
娘に社会性や協調性がないことを戒めようとしたのでしょうか?
お父さんが、大企業に何十年も務めていることを知っていたコムアイさんは
説得力があるなぁ
と感心していたのだとか(^_^;)
お父さんの予言通り、OLにはならなかったようですね。
◆母親のエピソード
コムアイさんのお母さんは、生まれたばかりのコムアイさんがブサイクすぎて、悩んでいたのだとか(>_<)
こんなブサイクに生まれてこの先どうしたらいいんだろう…
そして不安になったお母さんが、祖母に相談しに行ったところ、
イヤなら私が育ててあげるわよ
という言葉をかけられ、お母さんはようやく安心したのだとか。
お祖母さんに感謝ですね(^_^;)
◆弟も慶応・アメフト選手
コムアイさんには弟がいて、名前は輿 将央さん。
弟さんも、慶応藤沢の中学・高校を経て、慶應大学へ。
父親の影響でしょう、小学生の頃はフラッグフットボール、大学では同好会「OUTSIDERS」でフットボールをやっています。
「OUTSIDERS」のサイトを見ると、将央さんはチームの主将で、ポジションはワイドレシーバー。
現在4年生のようですが、就職先は決まっているのでしょうか?
◆まとめ
2011年7月、コムアイさんのお母さんは、がんのため他界されました。
コムアイさん、お父さん、弟さんは、笑顔で葬儀に参列していたそうです。
いつも笑顔だったお母さんを悲しませないため、涙をこらえていたのでしょう。
両親からたくさん愛情を受けて育ててもらったし、兄弟もいて、あったかい家庭だった
こう語るコムアイさんの歌声は、天国のお母さんに届いていると思います☆.。.:*・゜
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