◆父・昭一さん
藤川球児さんと言えば、プロ野球選手としてピッタリの名前が印象的ですが、この名前を命名したのは、父・藤川昭一さんです。
実はお父さんも野球をやっており、国体の野球の予選でピッチャーを務め、ノーヒット・ノーランを達成した翌日に男児が生まれたため「球児」と名付けたのだそうです。
父・昭一さんは、2003年に介護事業を興し、有料老人ホーム・デイサービス・介護タクシー等を運営する一方、台湾の企業と提携して、リールと釣り竿を製造販売するなど大変な実業家であります。
またお父さんは、女子のソフトボールのチームも保有しており、そのチームを運営するために2軒のうどん屋を経営し、チームのメンバーはそれらの従業員になっているそうです。
◆母親
藤川球児さんのお母さんは、あまり表に出てきません。
幼少期、ぜんそくに苦しむ藤川さんを自転車に乗せて、夜中にかかりつけの病院に連れて行くことがよくあったそうです。
藤川さんが中学3年生の時の弁論大会では、そんなお母さんのエピソードに続けて、
母には本当に感謝しています。僕はそんな母に夢を与えてあげたいです
と話したそうです。
◆兄弟バッテリー
藤川球児さんには1学年上のお兄さんがいて、名前は藤川順一さん。
兄・順一さんは小学校時代、球児さんと一緒に柔道をやっていました。
しかし、球児さんが「野球をやる」と言い出して柔道をやめ、順一さんも小学4年から無理やり野球をやることになります。
順一さんは柔道を続けたかったのかも…
それでも順一さんは運動神経が良かったのでしょう、一足先に高知商業に入り、球児さんとバッテリーを組むようになりました。
順一さんが高校3年、球児さんが高校2年の時に甲子園へ出場し、「兄弟バッテリー」として話題となります。
お兄さんはこの時の甲子園で古傷のヒザを悪化させてしまい、野球生命を断たれてしまったそうです。
一時期は、高知ファイティングドッグスのゼネラルマネージャーを務めましたが、横領容疑で刑事告発されたという記事が、2009年6月の週刊現代で報じられました。
その後、六本木で餃子居酒屋「じゅーく」の経営を始め、ダルビッシュ選手が店に行った様子がダルビッシュ選手のブログで報告されています。(現在は閉店)
なお、藤川さんは4人兄弟という事なので、あと2人兄弟がいらっしゃいますが、詳細は不明です。
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