阪神タイガースに所属する、藤川球児選手。

決め球は火の玉ストレート!
今回は、そんな藤川選手を育くみ、現在を支える家族にスポットを当ててご紹介したいと思います。
生年月日:1980年〈昭和55年〉7月21日
身長体重:185cm/90kg
血液型 :O型
出身地 :高知県高知市
◆実家は高知
藤川球児選手は、高知県高知市の出身。
小学校は地元の高知市立小高坂(こだかさ)小学校に通いました。

野球を始めたのは、小学校3年生のとき。
きっかけは、
- 自分の名前が球児ということ
- 父親が野球をやっていたので、生まれた時から野球を見て育ったから
- 僕を産んでくれた母を喜ばせたかったから
の3つでした。
少年野球チーム『小高坂ホワイトウルフ』に所属し、最初は遊撃手でしたが、投手にコンバートされています。
中学校は、高知市立城北中学校へ進学。
城北中の同級生には、なんと女優の広末涼子(ひろすえ・りょうこ)さんがいました。

お互いの実家は、自転車で10分程度の距離だったそうです
中学3年時に書かれた作文では、甲子園出場とプロ野球選手になることを宣言しています。
僕はこれからもっともっと実力をつけて、将来きっと自分の夢である甲子園に出場し、プロ野球選手になって、世界中の人々の心に夢という名のメダルを贈り続けたいと思います。(抜粋)

そして、その目標は現実のものとなっていきました
高校は野球の名門、高知商業高等学校に進学しました。
2年生の時、夏の甲子園大会に、右翼手兼控え投手として出場。
初戦の旭川大高戦の四回から登板し、4安打8奪三振の好救援を見せましたが、2回戦で平安高校に敗れました。
そして高校3年時のドラフト会議で、阪神タイガースから1位指名を受け、プロの道を歩き出しています。
◆父・昭一さん
藤川球児選手と言えば、プロ野球選手としてピッタリの名前が印象的ですが、この名前を命名したのは、父・藤川昭一さんです。
実はお父さんも野球をやっており、国体の野球の予選でピッチャーを務め、ノーヒット・ノーランを達成した翌日に男児が生まれたため「球児」と名付けたのだそうです。
父・昭一さんは、2003年に介護事業を興し、有料老人ホーム・デイサービス・介護タクシー等を運営する一方、台湾の企業と提携して、リールと釣り竿を製造販売するなど大変な実業家であります。
またお父さんは、女子のソフトボールのチームも保有しており、そのチームを運営するために2軒のうどん屋を経営し、チームのメンバーはそれらの従業員になっているそうです。
◆母親
藤川球児選手のお母さんは、あまり表に出てきません。
幼少期、ぜんそくに苦しむ藤川さんを自転車に乗せて、夜中にかかりつけの病院に連れて行くことがよくあったそうです。
藤川選手が中学3年生の時の弁論大会では、そんなお母さんのエピソードに続けて、

母には本当に感謝しています。僕はそんな母に夢を与えてあげたいです
と話したそうです。
◆兄弟バッテリー
藤川球児選手には1学年上のお兄さんがいて、名前は藤川順一さん。
兄・順一さんは小学校時代、球児さんと一緒に柔道をやっていました。
しかし、球児さんが「野球をやる」と言い出して柔道をやめ、順一さんも小学4年から無理やり野球をやることになります。

順一さんは柔道を続けたかったのかも…
それでも順一さんは運動神経が良かったのでしょう、一足先に高知商業に入り、球児さんとバッテリーを組むようになりました。
順一さんが高校3年、球児さんが高校2年の時に甲子園へ出場し、「兄弟バッテリー」として話題となります。
お兄さんはこの時の甲子園で古傷のヒザを悪化させてしまい、野球生命を断たれてしまったそうです。
一時期は、高知ファイティングドッグスのゼネラルマネージャーを務めましたが、横領容疑で刑事告発されたという記事が、2009年6月の週刊現代で報じられました。
その後、六本木で餃子居酒屋「じゅーく」の経営を始め、ダルビッシュ選手が店に行った様子がダルビッシュ選手のブログで報告されています。(現在は閉店)

なお、藤川選手は4人兄弟という事なので、あと2人兄弟がいらっしゃいますが、詳細は不明です。
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