俳優として長年活躍する、神田正輝さん。

家ではほとんど何も着ません!
今回は、そんな神田さんを取り巻く『家族』の物語です。
生年月日:1950年〈昭和25年〉12月21日
身長:178cm
血液型:A型
出身大学:日本大学芸術学部映画学科
◆生い立ち
神田正輝さんは、東京・赤坂の一ツ木で生まれました。
小学校は、港区立赤坂小学校に通います。
ちなみに、小1の時に鎌倉に引っ越したのですが、父親が赤坂小のPTAをやっていた関係で、転校できませんでした。

鎌倉から片道2時間かけて通ってました!
中学校時代は、
- 陸上部
- 水泳部
- バスケットボール部
- 天体観測部
を掛け持ち、スキーとダイビングも経験します。

ものすごいバイタリティですね
高校は神奈川県横浜市にある、日本大学高等学校へ進学。
高校時代は、学校をサボって東神奈川の職安に通いました。
ホース工場やタイヤ工場、米軍の港湾などでバイトに明け暮れていたそうです。
大学は、日本大学芸術学部映画学科へ進学。
大学時代、プロ級のスキーの腕前を生かして、テスター(スキー板の開発)のアルバイトを経験します。
世界中のスキー場に行き、氷河の上を滑ったこともあるのだとか。
命懸けの仕事なので給料は高かったそうですが、危険過ぎたのか、やがてスキーが嫌いになってしまいました。
大学卒業後、レストランで石原裕次郎(いしはら・ゆうじろう)さんに声をかけられ、一緒に食事をとります。
その一週間後、裕次郎さんから

日活を見学しに来い
と言われたので、撮影所を見学。
さらにその一週間後、裕次郎さんから

ひやかしでドラマ1本にでてみないか?
と誘われ、軽い気持ちで出演したのが『大都会 -闘いの日々-』でした。
ここから、神田さんの俳優人生がスタートしています。
◆父親は石油販売会社の社長
神田正輝さんの父親の名前は、神田正次さん。
父・正次さんは、石油販売会社の社長だったと言われています。
しかし、正次さんは母親以外の女性と結婚していたので、正輝さんは婚外子に当たるのだとか。
お母さんの名字が「神田」でないのは、そういう理由からでしょう。
◆母親は女優・旭輝子さん
神田正輝さんの母親の名前は、旭輝子(あさひ・てるこ)さん。[1]
本名は、杉輝子(すぎ・てるこ)さんと言います。
1924年〈大正13年〉10月30日生まれなので、26歳で神田さんを産んでいますね。
左側の女性が輝子さんです(↓)
テレビ創成期 麹町日本テレビのり平テレビ千一夜。テレビ史上初スクリーンプロセスでフィルム撮影の回。新婚夫婦が買った一軒家は飛行場敷地にになる。相手役はロッパ一座で鍛えた超巧い旭輝子。神田さやかの祖母であります。フロアマネージャー井原高忠が後にシャボン玉ホリデーに繫がる♪ pic.twitter.com/P7KXKwl0or
— のり一 (@noribiyori) December 11, 2021
母・輝子さんは、東京都台東区浅草の出身。
実践女学校(現・実践女子学園中学校)を中退して松竹少女歌劇学校で学び、松竹少女歌劇団で活躍しました。
劇団を退団後は、映画やドラマ、舞台にと幅広く活躍しています。
2001年12月31日、心不全のため77歳で亡くなりました。
旭さんを偲び、浅草公会堂の「スターの広場」前には花束が置かれています。
◆兄弟
神田正輝さんは一人っ子なので、兄弟はいません。[2]
ただし、父親の正妻には子供がいた可能性があるので、腹違いの兄弟はいるかもしれません。
◆元妻・松田聖子
神田正輝さんは1985年6月24日、34歳で結婚しています。
お相手は歌手の松田聖子(まつだ・せいこ)さん。
1962年〈昭和37年〉3月10日生まれなので、神田さんより12歳(11学年)年下になります。

①松田聖子の生い立ち
松田聖子さんは、福岡県久留米市荒木町の出身。
小学校は地元の、久留米市立荒木小学校に通いました。
小学校時代は「アタックNo.1」の影響で、バレーボールをやっていました。
中学校も地元の、久留米市立荒木中学校へ進学。
中学校時代はユニフォームに憧れて、軟式テニス部に所属していました。
高校はカトリック系の、久留米信愛女学院高等学校へ進学。
キリスト教研究部に入部しますが、この頃から芸能界への思いが強くなっていきます。
高校2年のとき親に内緒で、『ミス・セブンティーンコンテスト』の九州地区大会に出場し優勝。
この時は父親と学校の反対により全国大会を辞退しましたが、聖子さんの歌唱力はCBSソニーのスカウトの目に留まりました。
なおも父親は、娘の芸能界入りに反対を続けますが、スカウトの粘り強い交渉に対し、ついにOKを出します。
そして1980年4月、高校卒業と同時にシングル『裸足の季節』で歌手デビューを果たしました。
②松田聖子との結婚生活
松田聖子さんとの馴れ初めは、 映画『カリブ・愛のシンフォニー』で共演したこと。
当時、人気俳優だった神田さんとトップアイドルだった聖子さんの結婚は、「世紀の結婚」をもじり、
聖輝(せいき)の結婚✨
と呼ばれました。
翌年には一人娘をもうけ、順風満帆に見えた結婚生活。

しかし、1997年1月に離婚を公表しています
離婚の背景には、妻・聖子さんの奔放な恋愛があったのだとか。
中でも注目を集めたのは、アメリカの無名俳優、ジェフ・ニコルスとの3年にも渡る関係でした。
1994年には、ジェフが『真実の愛』という暴露本を発売し、聖子さんからもらったラブレターやラブラブ写真が公開されます。
その後、ディープキス写真まで流出したので、離婚の大きな原因となったのは間違いありません。
◆愛娘・神田沙也加
神田正輝さんと松田聖子さんの間には娘がいて、名前は神田沙也加(かんだ・さやか)さん。
1986年〈昭和61年〉10月1日生まれなので、正輝さんが35歳の時に生まれていますね。

2001年頃から「SAYAKA」名義で芸能活動を始めますが、なかなか「松田聖子の娘」という壁を超えることができません。
そして、2005年5月に活動休止を発表。
活動休止中は海外で様々な作品を観たり、

将来自分が子どもを育てる時に賃金の尊さを教えたい
という理由で、懐石料理店(仲居)やダイニングバー(ウエイトレス)でアルバイトを経験したりしました。
2006年12月に「神田沙也加」として芸能活動を再開。
2014年3月に公開されたアニメーション映画『アナと雪の女王』で王女・アナ役の日本語吹替えを好演し、大ブレイクを果たしました。
また、この年にはNHK紅白歌合戦に出場を果たし、『生まれてはじめて』を披露しています。
◆長谷川理恵と破局
神田正輝さんは、2010年ごろ、女優の長谷川理恵(はせがわ・りえ)さんとの交際が報じられたことがありました。
長谷川さんは1973年〈昭和48年〉12月1日生まれなので、神田さんより23歳年下になります。
この時は双方とも交際を認め、結婚も秒読みかと思われましたが、破局。
結局神田さんは、聖子さんと離婚した後は、再婚をしていません。
◆まとめの家系図
以上をまとめた家系図をここに記します。
これまで見てきた通り、神田正輝さんの活躍の陰には、温かく支えてくれた『家族』の姿がありました。
これからも家族の応援を胸に、神田さんの挑戦は続いていきます(^o^)丿
◇編集後記
神田正輝さんが愛用する腕時計を見つけました。
これはグランドセイコーのヘリテージコレクションですね。
このモデルの特徴は、9RスプリングドライブとGMTの24時間針。
9Rスプリングドライブは、機械式時計のぜんまいを動力源としながらも、ICと水晶振動子によって正確に時を刻みます。
GMT(Greenwich Mean Time:世界標準時)を示す24時間針は、赤いカラーで存在を強く主張しています。
生放送番組もこなす神田さんにとって、左腕から緊張感を与えてくれる、頼りになる存在なのだそうです。

◇脚注
- 四国新聞社 2002年1月3日 旭輝子さん死去/女優、俳優神田正輝氏の母
- 週刊女性 2021年12月14日号 神田正輝、実家放置で住職も苦言!ご近所も迷惑する“空家トラブル”に「歯切れの悪い言い訳」
- スポニチアネックス 2016年1月1日 神田正輝 元恋人・長谷川理恵とも「旅サラダ」で出会い

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