秋篠宮さまと紀子さまのご長男、悠仁さま。
家族からは「ゆうゆう」と呼ばれてます!
今回は、そんな悠仁さまを取り巻く『家族』の物語です。
生年月日:2006年〈平成18年〉9月6日
身位:親王
お印:高野槙(こうやまき)
◆生い立ち
悠仁さまは、東京都港区南麻布の愛育病院で生まれました。
幼稚園は、お茶の水女子大学附属幼稚園に入園。
小学校は、お茶の水女子大学附属小学校へ通いました。
皇族が学習院初等科以外の小学校に入学したのは初めてです
小学校5年生の時には、校外学習で東京・両国国技館の大相撲を観戦。
友人とちゃんこ料理を楽しまれていたそうです。
中学校は、お茶の水女子大学附属中学校へ入学しました。
入学直後の4月26日、何者かが校舎に侵入し、悠仁さまの机に果物ナイフが置かれるという事件が発生。
5月1日には、新天皇が即位するタイミングであったため、早期解決を図った警察により、3日後に犯人が逮捕されています。
2022年4月からは、高校に進学予定。
お茶の水女子大の附属には高校がないため、その進路が注目されています。
◆父・秋篠宮さま
悠仁さまのお父上は、秋篠宮文仁(あきしののみや・ふみひと)さま。
1965年〈昭和40年〉11月30日生まれになります。
幼稚園は、学習院幼稚園へ通いましたが、この頃はやんちゃ者だったとか。
当時人気があったタイガーマスクごっこをして、友達を泣かせてしまったことがありました。
この時は、美智子(みちこ)上皇后さまがママ友へ直接電話を入れて、お詫びをされたそうです📞
小学校は、学習院初等科へ通いました。
初等科時代は、剣道の授業の指導がかなり厳しかったのだとか。
秋篠宮さまが学習院に距離を置かれる背景には「この体験がトラウマになっている」と噂されています。
中学校は、学習院中等科へ進学しました。
中学3年生の時には、ニュージーランドを訪問されています。
高校は、学習院高等科へ進学しました。
大学を検討する際には、
自分の興味のある学問を究めたい
と考え、学習院大とは別の大学への進学を希望されます。
しかし、父親である上皇さまに説得され、前例を踏襲し、学習院大学法学部へ進学しました。
大学では自然文化研究会を結成し、友人と飲み歩き、学生生活を謳歌されます。
そんな時、学内の書店で出会ったのが、紀子さまでした。
◆母・紀子さま
①生い立ち
悠仁さまのお母さまは、紀子(きこ)さま。
1966年〈昭和41年〉9月11日生まれなので、秋篠宮さまより1歳年下になります。
静岡県静岡市で生まれますが、父親の仕事の都合でアメリカに渡りました。
1971年9月、フィラデルフィア市立ヘンリー・C・リーエレメンタリースクールに入学。
1973年に帰国し、静岡市立中田小学校の1年に編入学しました。
同年9月には新宿区戸山へ引っ越したため、新宿区立早稲田小学校に転校します。
3年生の時、豊島区目白の学習院職員寮に引っ越し、豊島区立目白小学校に転校。
4年生の時には、学習院初等科へ編入しました。
5年生の時、父親の仕事の関係で、オーストリアに渡ります。
学校は首都ウィーンにある、アメリカ・インターナショナル・スクール・オブ・ヴィエンナ6年に編入。
合計6つの小学校に通いました!
1979年9月、日本へ帰国し、学習院女子中等科へ編入。
ここからは転校することなく、学習院女子高等科に進学しました。
高校では厚生委員に選ばれ、
- 恵まれない人たちへの街頭募金
- 身体障害者の人たちが作った絵葉書の告知
などの活動に勤しみました。
②秋篠宮さまとの出会い
1985年4月、紀子さまは、学習院大学文学部へ進学。
ここで、学内書店の主人に紹介され、秋篠宮さまと運命の出会いを果たしました
その後、秋篠宮さまが主催する自然文化研究会に参加し、お2人は交流を深めます。
1986年6月、目白駅近くの交差点で2人で信号待ちをしている時、
私と一緒になってくれませんか?
と、秋篠宮さまがプロポーズをされました。
突然のことに驚いた紀子さまは、
少し考えさせてください
と返事を保留。
家内からのOKの返事はいつだったのか……、はっきりした返事ではありませんでした
と言うことですが、1990年6月、めでたくご成婚となりました。
◆2人の姉
悠仁さまには、2人のお姉さまがいます。
①長姉・小室眞子さん
上のお姉さんの名前は、小室眞子(こむろ・まこ)さん。
1991年〈平成3年〉10月23日生まれなので、悠仁さまより15歳年上になります。
姉の眞子さんは、2014年3月に国際基督教大学を卒業。
2017年9月、大学の同級生である小室圭(こむろ・けい)さんとの婚約が内定しました。
しかし、圭さんの母親の借金問題などが発覚し、国民的な議論を呼びます。
2018年11月、秋篠宮さまは、
多くの人が納得し喜んでくれる状況にならなければ、いわゆる婚約に当たる納采の儀を行うことができない
と語り、結婚はかなり難しい状況となりました。
しかし眞子さまは、気丈に公務に励みながらも、
結婚は自分たちの心を大切に守りながら生きていくために必要な選択
と、結婚を諦めません。
それを見た秋篠宮さまは、2020年11月の会見で、
結婚することを認める
と、ついに決断を下しました。
2021年10月、眞子さんと圭さんは婚姻届を提出し、11月にニューヨークへ旅立っています。
②次姉・佳子さま
下のお姉さまの名前は、佳子(かこ)さま。
1994年〈平成6年〉12月29日生まれなので、悠仁さまより12歳年上になります。
姉の佳子さまは、2013年4月に学習院大学文学部教育学科へ入学。
しかし、皇族が教師になることは難しく、
友人たちと自分との温度差を日に日に感じられるようになった
との理由で、学習院大を中退しました。
翌年、2年遅れで国際基督教大学へ入学し、2019年3月に卒業しました。
現在は、一般財団法人全日本ろうあ連盟に非常勤嘱託職員として勤務する一方で、日本テニス協会の名誉総裁などを務めています。
◆皇位継承順位第2位ながら皇籍離脱の可能性?
悠仁さまの皇位継承順位は、秋篠宮さまに次ぐ第2位。
しかしながら、即位を拒否されて皇籍離脱する可能性が取り沙汰されています。
第1位 秋篠宮さま
第2位 悠仁さま
第3位 常陸宮(ひたちのみや)さま 1935年11月28日生
第1の理由は、姉の眞子さま。
眞子さまの結婚は、国民の反対意見が出る中、儀式等は一切行わず、
一時金は辞退します
という、異例尽くしの展開となりました。
ある意味「伝統と慣習にとらわれず本人の意思を尊重する」という事例を作ってしまったので、悠仁さまの意思も尊重しなければならなくなったのです。
第2の理由は、父親の秋篠宮さま。
皇位継承順位第1位の秋篠宮さまは、天皇陛下より5歳年下になります。
秋篠宮さまは、
兄が80歳のとき、私は70代半ば。それからはできないです
とのお考えを示されています。
思いはよく理解できますが、これだと悠仁さまが、
即位したくない
というご意思を表明された場合、それを認めないわけにはいかなくなります。
皇室の方は常に世間の目にさらされ、好きな相手と結婚することも難しく、窮屈な生活を余儀なくされます。
さらに悠仁さまとその結婚お相手には、
必ず男子を生まなければならない
という、想像を絶するプレッシャーが…
悠仁さまが、
皇籍を離脱したい
と考えることは、十分に起こりうることなのです。
悠仁さまにプレッシャーを与え過ぎないよう、マスコミや国民の一人一人が考えるべきなのかもしれませんね。
◆まとめ
悠仁さまのお名前は、
ゆったりとした気持ちで、長く久しく人生を歩んでいくこと
を願って名付けられました。
ご家族の願い通りすくすくと成長されており、長く久しく人生を歩んで行かれることでしょう。
これからも家族の応援を胸に、悠仁さまの人生は続いていきます。
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