桑田真澄の『家族』~元CA妻との間に息子が2人…長男は元独立L選手、次男はMatt

KKコンビとして甲子園を沸かし、ジャイアンツのエースとしても活躍した、桑田真澄(くわたますみ)さん。

特技はピアノです!

今回は、そんな桑田さんを取り巻く『家族』にスポットを当て、ご紹介します。

名  前:桑田真澄(くわた・ますみ)
生年月日:1968年〈昭和43年〉4月1日
身  長:174cm
出身地 :大阪府八尾市
家族構成:妻、息子2人
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◆実家・生い立ち

桑田真澄さんは、大阪府八尾市の出身。

小学2年生より、町内会の「はやぶさ子供会ソフトボールチーム」を経験し、小学3年生からはボーイズリーグの「八尾フレンド」で野球を始めました。

小学5年生からエースとして活躍しています。

中学校は、八尾市立大正中学校へ進学。

中学の野球部に所属し、準硬式の試合に出場しました。

大正中学時代は、後にプロに進んだ西山秀二(にしやま・しゅうじ)さんとバッテリーを組んでいます。

高校は、PL学園高等学校へ進学。

硬式野球部の同期では、

  • 清原和博(きよはら・かずひろ)さん
  • 松山秀明(まつやま・ひであき)さん
  • 今久留主成幸(いまくるす・なりゆき)さん
  • 内匠政博(たくみ・まさひろ)さん

などがプロ入りしています。

桑田さんがPL学園で残した伝説は、あまりにも有名ですが、一応ここに記しておきます。

  • 甲子園出場:5回(出場可能な大会すべてに出場)
  • 甲子園決勝進出:4回
  • 甲子園優勝:2回(1年夏と3年夏)
  • 甲子園での通算成績:20勝3敗(歴代2位)
  • 通算奪三振:150(歴代1位)
  • 通算登板数:25試合(歴代1位)
  • 通算投球回数:197回2/3(歴代1位)
  • 通算本塁打数:6本(歴代2位、1位は清原)

高校卒業後の進路について、桑田さんは、

早稲田大学へ進学する

と表明しており、プロスカウトはドラフト指名を回避すると思われました。

一方で、清原和博さんは、読売ジャイアンツへの入団を熱望していました。

しかし、フタを開けてみると、読売ジャイアンツは桑田さんを1位指名し、くじ引き抽選なしに桑田さんを獲得。

清原さんには、巨人ではない6球団が競合し、抽選の結果、西武ライオンズが交渉権を獲得しました。

この結果は、あまりにも下馬評と異なる展開であったため、

桑田と巨人との間に密約があったのではないか

と囁かれ、KKドラフト事件として球史に刻まれることとなります。

◆父親は喫茶店を経営

桑田真澄さんの父親の名前は、桑田泰次さん。

桑田さんが野球選手として活躍した背景には、父親である泰次さんによる特訓が施されています。

  • 古タイヤをバットで叩く練習で腰を鍛える
  • げんのうで五寸釘を木屑に打ち込んで手首を鍛える
  • キャッチボールではミットを動かさないようにして投げた球が逸れると自分で取りに行かせる方法でコントロールをつける
  • 正しい捕球の仕方を覚えさせる為にグローブの綿を抜く

父と子の「巨人の星」ばりの特訓は、小学4年生から中学卒業まで続きました。

桑田投手の基礎を築きあげた父・泰次さんは、一冊の本を出します。

お父さんの破天荒な子育てぶりが生々しく、純粋に楽しめる一冊です(^^)

後年、父・泰次さんは母親と離婚し、浜松に移住して、喫茶店をオープン。

同時に、小、中学生を対象とした硬式野球チーム「浜松ジャイアンツボーイズ」を結成し、指導しました。

泰次さんの熱血指導ぶりは健全で、

自動販売機の明かりがあれば、練習はできる!

と、選手に熱弁を振るっていたそうです。

2010年1月17日、そんな父・泰次さんに、大きな災難がおとずれました。

自宅を兼ねる喫茶店が全焼してしまったのです。

焼け跡からは泰次さんが、変わり果てた姿で見つかりました。

桑田さんは父の遺体と対面し、

今年は(早大)大学院を卒業した後に父と1年間、ゆっくりしようと計画していた。最後にもう1度、キャッチボールがしたかった。

とうつむきました。

この日は、父・泰次さんの67回目の誕生日でした。

◆母親の言葉

桑田真澄さんのお父さんは野球に熱心でしたが、それ以外は家庭をかえりみない方でした。

そんな夫婦生活に疲れたお母さんは、当時小学生の桑田さんに、

お父さんと離婚しようと思う

と打ち明けた事があります。

その時、桑田さんはこう応えました。

お母さん、それでも僕は野球がしたい。だから、僕が、お母さんを養えるようになるまで待って

結局夫婦は離婚しますが、お母さんにとって、この言葉は、忘れられないものとなりました。

また、桑田さんがPL学園の1年生の時、投手から外野手へ転向させられた事があります。

落胆した桑田さんは、練習を見学に来たお母さんに、

もう投手ではダメなのでPLを辞めたい

と打ち明けます。

甘い言葉を期待した桑田さんに対し、お母さんは、

補欠でも球拾いでもいいから、とにかくPLで野球を続けなさい

とはねつけたそうです。

その数ヶ月後には、甲子園の歴代最年少優勝投手として、高校野球史に名を刻んだ桑田投手。

お母さんの言葉がなかったら、天才・桑田は生まれなかったかもしれません。

◆姉の名前は?

桑田真澄さんにはお姉さんがいて、名前は美樹緒さん。

名前の由来は、お父さんが

外国人にも呼びやすい名前をつけてやりたい

と考え、「ミッキー」の語感から美樹緒と命名されました。

ちなみに「真澄」は「マミー」から来ているそうです…(^_^;)

桑田さんは現役時代、不動産投資に失敗して、約20億円と言われる借金を抱えた事があります。

桑田さんは他球団のファンから

「投げる不動産屋」

とヤジられますが、実は、お姉さんの元夫が「桑田真澄」名義で引き起こしたのだとか。

この問題の解決には読売グループが動いたため、桑田さんはこの影響でメジャー挑戦が遅れたと言われています。

◆弟・桑田泉

桑田真澄さんには弟もいて、名前は桑田泉さん。

名前の由来は「スミス」の語感だそうですが、少し無理があるのは名付け親(父)も認めています…(^_^;)

弟の泉さんは、1969年〈昭和44年〉11月25日生まれなので、桑田さんより2学年下。

お兄さんに憧れて、投手としてPL学園野球部に進み、立浪和義(たつなみ・かずよし)選手や橋本清((はしもと・きよし)選手と同級生でした。

しかし、故障続きで活躍できず、3年で春夏連覇を果たしたときはベンチ要員に。

進学した青山学院大学でも際立った活躍はできず、プロの夢はあきらめてハワイへ渡ります。

ハワイで知人社長のカバン持ちをする内にゴルフと出会い、帰国して2007年にゴルフスクール「イーグル18」を開校。

「18」は桑田さんの背番号をかけているのかもしれませんが、必要資金の1億円はすべて自分で調達しました。

ひそかに兄に追いついたんじゃないかと思ってるんです

と話す泉さんの教え子は900名を超え、「日本一のカリスマレッスンプロ」と称されています。

なお、桑田さんの弟を調べると「俳優」というキーワードが浮上します。

これは、泉さんではなく、桑田さんの次男の事のようですが、後ほどご紹介します。

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