栗城史多の『家族』~17歳で母親を亡くす…お嫁さんや子供はいたのか?

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◆父親の職業は?

栗城史多さんの父親の名前は、栗城敏雄さん。[1]

父・敏雄さんは北海道の田舎町で眼鏡屋さんをやっています。

しかし父親は、眼鏡屋さんの商売を“副業” と呼んでいました。

栗城さんが小学3年生の時、父親は突然、

この町に温泉を掘りたい

と言い出して、河川敷で一人、温泉採掘を始めました。

すると3年後、本当に温泉が沸いて出てくるではありませんか。

その光景を見て、栗城さんは、父親が眼鏡屋を “副業” と呼んでいた理由が分かりました。

お父さんの本当の職業は、人が喜ぶことに全力で取り組むことだったのです。

ちなみにその温泉施設の運営は自治体で、お父さんには1円も入りませんでした。

しかし、温泉が湧くことで街の人や観光客が喜んでくれる…

お父さんはそれだけで満足だったのです。

父・敏雄さんは栗城さんが帰らないことを知り、

自分の好きなエベレストで消えた。ありがとうございます。皆さんに助けてもらって、”バカ野郎”とは言えない。よく今まで頑張ったと思う

と語りました。

◆まとめ

これまで見てきたとおり、栗城史多さんの活躍の陰には、温かく支えてくれた『家族』の姿がありました。

天国で、お母さんとの再会を果たせたでしょう?

ご冥福をお祈り申し上げます。

◇編集後記

栗城史多さんは、登山時には玄米酵素を愛用していました。

ソースはこの写真です。

胸元に「ハイゲンキ」の文字が見えますね。

玄米の良さを知ったのは、一足先に旅立った、お母さんの影響だったそうです。

◇脚注

  1. 日経ビジネス 2018年5月22日 登山家・栗城史多 挑戦の軌跡、世界に響け

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