『ザ・フォーク・クルセダーズ』などで活躍した、歌手の“はしだのりひこ”さん。
今回は、そんな“はしだ”さんを取り巻く『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
◆“花嫁”のモデルは?
“はしだのりひこ”さんのヒット曲の一つ『花嫁』。
1971年にシングルを発売し、紅白歌合戦でも歌われるなどヒット曲となりました。
作詞はクルセダースで一緒だった北山修さんですが、モチーフとなっているのは“はしだ”さんのお嫁さんなのだそうです。
当時、『帰ってきたヨッパライ』『風』などヒット曲を連発してきた“はしだ”さんは、休みもないほど仕事に明け暮れていました。
高校時代から“はしだ”さんのことが好きだった彼女(後のお嫁さん)は、“はしだ”さんに会うために、それこそ歌詞にあるように、
“夜汽車に乗って…♪”
コンサートが行なわれる街へ訪ねて行くこともしばしば。
そして“はしだ”さんの時間が空く朝方に、デートをすることも珍しくありませんでした。
それを知っていた北山さんは、彼女のけなげな姿をモチーフにして、
“いつか彼女ではなく、花嫁としてはしだのもとへ走っていくように”
と願って、歌に託します。
北山さんの願いが届いたのか、後に“はしだ”さんと彼女は結ばれました。
◆息子さん
はしだのりひこさんには、息子さんがいます。
息子さんが小学生の時、学校でイジメに遭い、頭を負傷したことがありました。
お嫁さんが病気で入院中だったため、学校から連絡を受けた“はしだ”さんは、学校に出向いて息子を連れて帰ります。
その途中、
“腹が減っただろう、ラーメンでも食おう”
と言って、息子を連れてラーメン屋へ。
怪我した頭を
“お父さんがハンカチで押さえてやるから”
と言って食べさせました。
その後、息子さんを家に帰し、お嫁さんがいる病院へ。
事の経過を説明したところ、お嫁さんに質問されます。
“それで、頭の傷は縫ったの?レントゲン検査の結果は?”
そこまでのケガであれば、ラーメンを食べさせている場合ではなかったのですね(^_^;)
“はしだ”さんは慌てて、息子さんを病院へ連れて行きました。
そもそも、息子さんがイジメにあった原因は、父親が“はしだのりひこ”であったから。
フォーク歌手として長髪にしている風貌などが、
“変な親父だ”
と言われ、息子さんは攻撃対象とされてしまったのでした。
“はしだ”さんは息子さんに涙を流して謝り、
“お父さんだって決して強い人間ではないので、お前に強くなれと言うことはできない。だから力を合わせよう”
と提案。
学校と話し合うなどして、イジメを解決までもっていったということです。
◆娘は舞台女優
はしだのりひこさんには娘さんもいて、名前は端田新菜(はしだ・にいな)さん。
1977年生まれなので、今年(2017年)で40歳になります。
娘さんの職業は舞台女優で、劇団青年団に所属。
映画『鍋とともだち』などにも出演しています。
◆まとめ
はしだのりひこさんのお嫁さんは、“はしだ”さんより8年ほど先に、天国へ旅立っていました。
今度が“はしだ”さんが天国行きの夜汽車に乗って、“花嫁”と再会を果たしたことでしょう。
ご冥福をお祈り申し上げます。
◇編集後記
お嫁さんの入院を機に「主夫」として生活した体験記を雑誌に連載し、書籍化されたものがこちら。
この本は後に『風のあるぺじお』のタイトルで映画化されています(^_-)
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