モンゴル出身の第68代横綱、朝青龍明徳(あさしょうりゅう・あきのり)さん。
今回は、そんな朝青龍関を取り巻く『家族』にスポットを当て、ご紹介します。
◆嫁・タミルの国籍は?
朝青龍関は、2003年に結婚しています。
お嫁さんはモンゴルの方で、名前はゴンボツェレン・タミルさん。
年齢は、今年(2017年)で37歳になります。
朝青龍関とタミルさんは、モンゴル第54中の同級生で、中学時代から交際しています。
朝青龍関が来日し、タミルさんもその後、ドイツへ留学しましたが、2人の赤い糸が切れることはありませんでした。
◆お嫁さんと離婚?
結婚後、2人の子宝に恵まれた朝青龍夫妻でしたが、2007年から別居することになります。
原因は、朝青龍関の女性問題。
朝青龍関はかねてより無断外泊が多く、やがて夫婦でいさかいが絶えなくなり、横綱(当時)の方から別居を切り出したということです。
やむなく子供2人とともにモンゴルに帰国したタミルさんは、復縁または離婚の可能性をさぐりながら話し合いをスタートさせました。
一時は関係が改善し、朝青龍関が「サッカー問題」で約4カ月のモンゴル謹慎生活を強いられた際は、一緒に行動しています。
しかし、朝青龍関は2008年、モンゴルの資産家令嬢を連れてハワイ旅行していたとの報道が。
さらに、高砂部屋のパーティーにはタミルさんに似た別の女性が出席するなど、女性の噂が絶えることはありませんでした。
結局、2009年に朝青龍関はブログで離婚を公表します。
離婚条件は、子供2人の親権はタミルさんが持ち、慰謝料としてウランバートルの中心地と郊外にある高級マンション2つ(1億円相当)を贈与。
月額2000ドル(約19万円)の養育費を、子供が18歳になるまで支払うというものでした。
◆お嫁さんと復縁?
2011年、朝青龍関はバラエティ番組『突撃スタアの晩ごはん』に出演。
なぜか、タミルさんや子供たちと家族だんらんでくつろぐ様子が、テレビで放送されました。
朝青龍関の説明によると、事は離婚はしていなかったのだとか。
離婚報道があった当時、妻・タミルさんと子どもたちは生活環境を整えるため、拠点をモンゴルへ移していました。
モンゴルでは、夫婦が離れて暮らすことはよくあることなのですが、これがメディアに『別居=離婚』と取りざたされます。
過熱していく報道陣の追及が煩わしくなり“離婚です”と言ってしまったのが真相なのだそうです。
番組では、
“今までも、今も、二人は夫婦のままです”
と、夫婦の仲の良さをアピールしていました(^_^;)
◆子供の名前や年齢は?
朝青龍関には、2人の子供がいます。
第1子は女の子で、名前はイチンホルロちゃん。
2003年4月6日生まれなので、年齢は今年(2017年)で14歳になります。
第2子は男の子で、名前はジャミアンドルジくん。
2005年10月6日生まれなので、年齢は今年で12歳です。
“男の子が生まれたら絶対に相撲取りにします”
と宣言していた朝青龍関。
長男の名前にある『ジャミアン』は、1920年代にモンゴル相撲で活躍した元横綱の名前。
母国の伝説の英雄の名に、朝青龍関の本名「ダグワドルジ」から「ドルジ」を合わせ名付けられました。
強そうな名前ですね(^^)v
◆甥っ子も相撲取り!
2010年に引退した朝青龍関ですが、親族が角界に戻ってきます。
角界入りが決まったのは、甥っ子のスカラグチャー・ビャンバスレンさん。
ビャンバスレンさんは、朝青龍関の兄の息子で、モンゴルの中等教育を卒業後、レスリング選手として来日。
高1の夏に国技館で大相撲を観戦し、
“相撲をやりたい”
と、優勝25回を誇る叔父と同じ道を志しました。
角界入りにあたり、朝青龍関は、
“親方の口(言うこと)を聞きなさい”
とアドバイス。
四股名はまだ決まっていませんが、朝青龍の「龍」の1字を使いたいという希望があります。
◆モンゴルの家族
朝青龍関は、モンゴル国ウランバートル市の出身。
15歳でモンゴル相撲を始め、ナーダムの相撲少年の部で優勝しました。
1997年に日本の明徳義塾高校に相撲留学しましたが、若松親方にスカウトされ、高校中退して角界に入門しています。
朝青龍関の父親の名前はドルゴルスレンさんで、モンゴル相撲の元関脇です。
母親の名前はプレブバダムさん。
兄は3人確認されています。
①長兄
スカラグチャー氏。
長兄の息子が、先ほどご紹介したとおり、日本の角界で活躍しています。
②次兄
ドルゴルスレン・スミヤバザル氏。
レスリングモンゴル代表でアトランタ五輪、シドニー五輪に出場。
「朝青龍の10倍強い」という触れ込みで日本でもプロレスに参戦しましたが、あまり結果は出ませんでした。
現在はモンゴルで国会議員をつとめています。
③三兄
ドルゴルスレンギーン・セルジブデ氏。
モンゴル相撲で小結、モンゴルレスリング選手権二連覇。
1999年、ブルー・ウルフの名前で新日本プロレスでデビューしましたが、目立った活躍ができず、2006年に退団。
現在は、モンゴルへ帰国しています。
◆まとめ
これまで見てきたとおり、朝青龍関の活躍の陰には、温かく支えてくれた『家族』の姿がありました。
これからも家族の声援を受けて、朝青龍関の挑戦は続いていきます(^o^)丿
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