数々の名曲を生んだシンガーソングライター、槇原敬之さん。
今回は、そんな槇原さんの実家の家族にスポットを当て、ご紹介します。
【本人プロフィール】
名前:槇原敬之(まきはら・たかゆき)
生年月日:1969年5月18日
年齢:50歳 ※2020年2月現在
身長:176cm
血液型:O型
◆実家は電気屋さん
①実家は電気屋さん
槇原敬之さんは、大阪府高槻市の出身。
実家は『みまつでんき』という名前で、Panasonic系列の電気屋さんを営んでいます。
『まだ生きてるよ♪』歌詞の中で、元カノが社長の息子とつきあっているのに対抗して、
うちだって電気やだ!(まいどあり!)
と叫ぶシーンがありますが、実話だったんですね(^^)v
槇原さんはむかし、よく家業を手伝い、汗だくになってクーラーを取り付けていたそうです。
ちなみに『No.1♪』の歌詞には、
夕暮れ僕の街には、チョコレイト工場のにおいがする
とありますが、これは高槻市にある明治製菓の大阪工場を指しています。
②生い立ち
槇原敬之さんは、5歳のころからクラシックピアノを弾き始めました。
小学校は、高槻市立牧田小学校(現在は統廃合)を卒業。
小学校6年生のとき、『増殖』をきっかけにYMOファンになり自宅録音の音楽制作を始めています。
中学は、高槻市立柳川中学校を卒業。
ちなみに、俳優の京本政樹(きょうもと・まさき)さんも、柳川中学校出身です。
高校は、大阪府立春日丘高等学校を卒業。
高校のとき、YMOの坂本龍一(さかもと・りゅういち)さんがパーソナリティーを務めたラジオ番組『サウンドストリート』の、デモテープコーナーに応募しました。
この音源が坂本さんから激賞され、同コーナーの優秀作から選曲したコンピレーション・アルバム『DEMO TAPE 1』(1986年)にも収録されています。
大学浪人中に挑戦した『AXIA MUSIC AUDITION ’89』で、グランプリを獲得。
このときの応募曲『NG』で、メジャーデビューを果たしています。
◆いとこはローリー寺西
ちなみに、応募曲『NG』のサポートギタリストは、『すかんち』のローリー寺西(てらにし)さんです。
なぜローリーさんがギターを弾いているかというと、2人はいとこ同士なんですね(゚д゚;)
ローリーさんの母親と、槇原さんの父親が、実の姉弟に当たります。
実家の電気屋さんは、ROLLY家と共同でやっていたので、小さい頃はROLLYさんと槇原さんは実の兄弟のように毎日一緒に育ちました。
◆父親
槇原敬之さんは、1999年に違法薬物で逮捕されています。
そして、2018年には個人事務所の代表で、同棲相手でもある男性が逮捕されてしまいました。
このとき、槇原さんの父親は週刊文春の取材に応じ、
捕まってたと聞いて、もうびっくりして。まさかと。息子が一緒にやってたとかいうんならホンマにかなんけど、本人はしっかりしてくれてますんで。安心しています(原文ママ)
と、話しています。
お父さんは、槇原さんのブログに、顔写真付きで登場したこともあります。
◆母親
槇原敬之さんは、2019年5月に大阪城ホールで開催された『第13回 母に感謝のコンサート』へ出演しています。
出演者は、森山良子さん、南こうせつさん、由紀さおり&安田祥子さん、秋川雅史さん、平原綾香さん、熊木杏里さん。
スペシャルゲストは坂本冬美さんで、特別出演は黒柳徹子さんという豪華な顔ぶれ。
実はコンサートには、槇原さんの母親も来ていたそうです。
◆兄弟
槇原敬之さんと、元ジャイアンツの槙原寛己さんは兄弟ではないか?という噂があるようです。
噂の根拠は、
- 槙原投手の実家も電気屋さんであること
- 年齢が近い(6歳違い)
- 名字が同じ
といったところでしょう。
結論として、槇原さんと槙原投手は兄弟ではありません。
そもそも槙原投手は、生まれも育ちも愛知県なので、設定に少々無理がありますよね(^_^;)
実際は、槇原さんは一人っ子だったようですね。
ローリー寺西さんがお兄さんみたいな感じだったのでしょう。
◆祖母
槇原敬之さんの両親は、電気屋さんの営業で忙しかったため、親代わりになってくれたのはお祖母さんでした。
槇原さんは、
(祖母が)よく一緒にコンサートにいってくれました
と話しているので、YMOのコンサートに行ったのでしょうか?
槇原さんのデビュー後は、足が痛むのをおして、槇原さんのコンサートに駆けつけてくれています。
◆まとめ
これまで見てきたとおり、槇原敬之さんの活躍の陰には、温かく支えてくれた『家族』の姿がありました。
これからも家族の応援を胸に、槇原さんの挑戦は続いていきます(^o^)丿
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